米国時間の19日、午前11時。ジョン・F・ケネディー空港から東京行きのフライトをつかまえた。行きのニューヨーク便にも乗っていた親切な機中スタッフの女性が紅茶を持ってきてくれた。パソコンの電池の残りは約1時間。2泊の短い米国出張だったが、当初の目的は果たせたと思う。

 

 ニューヨークは、とにかく寒かった!到着した日の気温は零下10度。前日までは比較的暖かい気候が続いていたようだ。特に、今日はこの冬一番の寒さ。空港の外の温度計は零下15度(最低気温は零下17度)を示していたと空港のスタッフが教えてくれた。ここ20年ほど着実に暖冬に向かっていたニューヨークは、数年前から、70-80年代の「寒いマンハッタン」に戻りつつあるらしい。先日のスマトラ沖地震による未曾有の津波災害といい、カリフォルニア州の異常気象といい、地球の「何か」が狂っているのは間違いなさそうだ。

 

 さて、今回の出張の目的は「国連改革」の現状を肌で感じること。そして、今年からいよいよ活動を本格化させる超党派の国連改革議員連盟の活動や役割についてのヒントを得ること。さらには、国連改革議連のメンバーと一緒に訪米するタイミングを探ることだった。年初から選挙区を回る日程がギッシリ詰まっていたため(しかも21日から国会が開幕)、この3日間しか海外出張のスケジュールが組めなかった。実は、あまりの寒さにやや体調を崩し、2つほど夜の会合をキャンセルした。それでも、夢の実現に奔走する友人(演劇プロデューサー)と再会出来たのは、ちょっと嬉しかった。

 

 ニューヨークでは、外務本省の担当部局やニューヨークの国連代表部にお願いして、日本の国連大使を含む5,6名の国連関係者とミーティングをセットしてもらった。日本代表部の3人の大使や政務と経済を担当する2人の公使、国連本部の政治局と開発部門の2人の事務次長、ユニセフの幹部(*毎回訪ねているベラミー事務局長との約束は直前にキャンセル)と会い、安保理改革を中心に意見を交わした。加えて、独自のネットワークを通じて、数名のエコノミストやジャーナリストとアポを取り、米国の政治や経済について話を聞いた。ニューヨーク滞在中に会えなかった知人や友人とは、電話で情報交換をやった。

 

 着任したばかりの大島賢三全権大使は、とにかくマジメで手を抜かないタイプ。最初から「全力疾走モード」だった。相変わらず発信力のある北岡伸一大使は、連日、安保理の会合で飛び回っている様子だった。緻密で頭の切れる小澤俊朗大使からは、今後の安保理改革の流れについて貴重な情報を得た。この時期、日本が安保理のメンバー(非常任理事国)になっていることは大きな意味がある。

 

 国連の改革、特に安保理改革はこの1年が勝負だ。12月の時点で再び改革が「先送り」されるようなことがあれば、日本は「それなりの決意」をしなければならないと思う。今月末のアフリカ首脳会議、国連改革に関する加盟国からのヒアリング(総会)を経て、3月にはいよいよ国連改革に関する事務総長のレポートが発表される。ここから10月のミレニウム首脳会合、そして12月の(?)の国連憲章改正に向けて、各国の国益をかけたゲームが続くことになる。日本にとってのベスト・シナリオとワースト・シナリオについては改めて書くことにしたい。

 

 あ、電池が切れかかっている。この続きは帰国後の国政レポートで。