昨晩、眠りに落ちたのは恐らく午前3時前後。2つの目覚まし時計は午前5時30分に間違いなくセットされていたはずだ。にもかかわらず、たっぷり休息を取ったはずの身体は(かなりやかましい)目覚ましの連続音に全く反応しなかった。ふっと目を開けて寝ぼけ眼で時計を見ると、すでに午前8時15分。「ぎゃあー!」と叫びながらベットから跳ね起き、地元秘書の携帯に電話を入れた。「ごめん!今起きた。これから大至急で東京駅に向かう。何時の新幹線に乗れるか分からないので、駅に到着次第、もう一度連絡を入れるから。」

 

 猛スピードで背広に着替え、歯ブラシとひげ剃りとシェービングクリームを黒い鞄に突っ込んで、外に飛び出した。まるで「当たり屋」のような勢いでタクシーを止め、東京駅に向かう。「ああ、何というバカだ。2日前のレポートで(今年はスタッフのやる気を奪うような行動はけっして取らない)と誓ったばかりなのに…」激しい自己嫌悪に陥りながら、午前9時前の新幹線にヘッドスライディングさらながらの姿勢で(*実際にやったわけではありません)飛び込んだ。

 

 当然のことながら、高崎駅東西の入り口で炸裂するはずだった新年最初の朝の街頭はキャンセル。(くっそー、やりたかったなあ。)午前8時ちょっと前から張り切って遊説カーに乗り込んでいた4名の(?)地元スタッフは、知らせを聞いて「ガクッっと」なっていたらしい。(そりゃあそうだ。)結局、本日の活動は、午前10時30分から前橋で行われた恒例の農協JA新年互礼会からキック・オフ。続けて午後12時の高崎商工会議所新年祝賀パーティーへ流れるという例年のパターンを踏襲した。午後1時からは父の時代からお世話になっている前橋某企業の新年会。引き続いて、沼田市と前橋市の2カ所で行われた某先輩議員(実力派衆院議員)の後援会による新年賀詞交換会に出席した。さすがは群馬県有数の強力な後援会組織。相変わらずの盛況ぶりだった。

 

 ふう。この3つの新年会だけで、少なくとも数百人の地元有権者と言葉を交わし、ガンガン握手をした。あちこちで肩をつかまれ、声をかけられた。「一太君、元旦のテレビ、見たよ!ずいぶん頑張ってたじゃないか!」「(中二階)の流行語大賞受賞、おめでとう!応援してるわよ!」「相変わらず元気ですね。HPのレポート愛読してます!」やっぱり故郷の人々はあったかい。新年の滑り出しから「ずっこけた」ものの、その後の日程は(俊敏な地元秘書の活躍で)スムーズに、無駄なく消化することが出来た。

 

 街頭演説以外の日程をすべて終え、再び車で高崎駅に向かった。同行した2人の地元スタッフに、「はい、これ遅刻の罰金!」と言いながら、特別ボーナス(金額は内緒)を支給した。「新年早々から本当に迷惑をかけてしまった。みんな(7人)で美味しいものでも食べて、志気を盛り上げてください!2人だけで飲んだらダメだよ。」秘書の1人が、ニッコリしながら言った。「いいんですか。じゃあ、お言葉に甘えて、使わせてもらいます。」最後にこんな会話を交わした。「山本:今朝出来なかった街頭演説は明後日(6日)の朝に回そう。予定の新幹線を早めればいい。」「次回は大丈夫ですよね。ちゃんと待ってますから。」「大丈夫。必ずかけつける。そんなに遅刻したら、オレが破産しちゃうからね!(笑)」