2005年のスタートにあたり、今まで何度か書こうと思って書けなかった話をしたい。1999年から2000年にかけて、小渕内閣と森内閣で外務政務次官を務めた。いわゆる副大臣制が導入される直前のモデルケースとして、初めて国会答弁の資格を与えられた最初の政務次官だった。河野洋平外務大臣の命を受け、世界中を飛び回った。

 

 米国外交のトップであるオルブライト国務長官(当時)はもとより、中国、韓国の外務大臣、インドのシン外相、トルコのエジェビット首相、ASEAN諸国の外務大臣に至るまで、すべて1対1で会談した。国連総会の会場では、ロシアのイワノフ外相もつかまえたし、森総理とクリントン大統領の首脳会談、日本ーカナダの首脳会談等にも同席した。(*これ以降、外務政務次官が総理の外遊に同行したケースは一例もない。)副大臣ー政務官制度の先鞭をつけた政務次官としては、かなり活躍したほうだと自負している。ちなみに、この時の組閣では、小渕総理が新しい政務次官のポストに多くの若手議員を登用した。同じ時期の通産政務次官は茂木敏充氏、経済企画庁政務次官は小池百合子氏、大蔵政務次官は林芳正氏、文部政務次官は小此木八郎氏だった。

 

 さて、自分が外務政務次官ポストに就いていた2000年3月。森内閣の下で、日本政府が北朝鮮政府に対して10万トンのコメ支援を行うことが決定された。もちろん、この決定は与党自民党の了承を得て、森内閣(日本政府全体)が決めた方針だった。(*この時の内閣官房副長官は安倍晋三氏だった。)外務政務次官あたりがこの政策決定に影響力を行使出来たはずがない。が、政府の一翼を担っていた者として、もちろん自分にも責任があったと考えている。当時は、拉致問題と核の問題を解決するために、米国の援助と足並みを合わせる形で「柔らかいメッセージ」を送ることが「強行路線」より有効だと思っていた。コメ支援についての了承を求めた自民党の外交部会では、政務次官として自ら説明に立った。その際、次のような話をしたことを憶えている。

 

 「拉致問題や核の問題を一刻も早く解決したいという気持ちは、政府も与党の議員も全く同じだと思います。対北朝鮮政策には(柔らかいアプローチ)と(強硬なアプローチ)の二つがあります。どちらの方法を使ったらこの問題の解決により近づけるか、100%の答えはありません。もしかすると、先ほど数名の議員の方々から指摘があったように、コメ支援などはやめて、圧力をかけたほうが効果的かもしれません。しかしながら、日本政府としては、現時点での北朝鮮情勢や米国等の考え方から判断して、今回は(南風)を送ったほうがベターだろうという判断を持っている。そういうことです。政府(総理)が責任を持って政策の選択肢を決め、それによって起こる結果についてはきちんと責任を取る。それしかありません。」

 

 記憶を辿ってみると、この部会で、コメ支援に最も強硬に異論を唱えたのは、石破茂氏(後の防衛庁長官)と平沢勝栄氏だった。石破さんは、こう言っていた。「山本次官の説明は、それはそれでひとつの理屈でしょう。が、この政策は間違っている。後できっとそのことが分かりますよ。」 今になって思えば、石破氏のこの予言は正しかった。その後、日本政府は10月に更に50万トンの追加コメ支援に踏み切ったが、この一連の援助は、日朝交渉や拉致問題の解決には全く結びつかなかった。この時点でのコメ支援は「間違った政策だった」と言わざる得ない。

 

 さて、3月に党の総務会で了承された10万トンのコメ支援について、拉致被害者の家族会や支援団体は一貫して反対の立場を表明していた。2月には政府内でコメ支援に踏み出す可能性が大きくなっていた。外交に携わる政務次官として、反対運動を展開している家族の方々にきちんとした説明もないままにコメ支援を決定し、一方的に通知するようなやり方は避けなければいけないと思った。これまで、被害者家族のメンバーと直接コンタクトを取った政治家(政府高官)が誰もいないということもずっと気になっていた。実は、外務政務次官になる1年ほど前に、月刊文藝春秋に「北朝鮮には対話だけでなく圧力(経済制裁)が必要」という主旨の論文を発表していた。その記事を読んだ蓮池薫氏の新潟のご両親から手紙をいただいたことがきっかけで、蓮池夫妻とはすでに会話のチャンネルがあった。家族会の事務局長を務めていた蓮池透氏にも会い、何度か携帯電話でも連絡を取り合っている状況だった。

 

 2月末に外務大臣の執務室で行われた省内の会議の席だったと思う。コメ支援に対する国内の反応、すなわち、幾つかの反対集会のことが話題になった。そこで、河野外務大臣に、「私が家族の方々に会って、現状を説明してきます。よろしいでしょうか?」と提案した。大臣からは、「うん、いいだろう」という返事が返ってきた。会議の後、ある外務官僚が部屋に入ってきて、心配そうにこう言った。「山本次官。この問題はとても複雑です。恐らく次官自身が批判を受けることになるのではないかと危惧しています。本当に行かれますか。」そこで、「いや、一度、蓮池さん以外の被害者家族の方々とも直接会って話をしたいと思っていた。どんなことをやってもリスクはありますからね」と応じた。担当課長を呼んで、早速、「大臣からはオーケーをもらった。来週早々に行きたい。1泊2日で皆さんに会える日程を急いで組んでください!」と指示した。

 

 確か2000年3月の初めだったと記憶している。外務省の若い官僚を一人同行させ、東京駅から新幹線に乗り込んだ。柏崎、小浜、神戸を回り、九州へも飛んだ。各地で被害者家族の方々の自宅を訪ねたり、食事の席を設けて真剣に話を聞いた。家族の方々の悲痛な叫びがそのまま伝わってきた。それぞれの場所で、コメ支援をめぐる政府内、与党内の状況について、また今後の見通しについて、出来るだけ真摯に、誠実に説明したつもりだった。が、東京に戻った翌日、家族会と支援団体の会議において、「山本次官は、面会した家族に、それぞれ違う説明をした。外務省の意向を受けて、コメ支援を強行する前に(家族に説明をした)という既成事実を作っただけだ。」という結論になったという情報がもたらされた。

 

 このHPのレポートをちゃんと読んでもらえば、それだけで分かってもらえると思う。自分は他人を騙したり、陥れたりするような卑怯なことをやるタイプではない。が、コメ支援を実施するという流れが固まりつつあった情勢を考えれば、(とりわけ、北朝鮮から肉親を取り戻すためにコメ支援はマイナスにしかならないと信じて必死に運動していた家族の方々にとっては)このタイミングでの「説明行脚」が「既成事実を積み上げようとしている試み」と映ったとしても仕方がない。自分の説明の中身が不十分だったり、誤解を招いた面もあるかもしれない。自分では精一杯の誠意を示したいと思って取った行動が、結果的に家族の方々を動揺させたり、その気持ちを傷つけてしまったとしたら、本当に申し訳ないことをしたと思う。もう4年前のことになるが、この点については、改めてお詫びしたい。

 

 この説明行脚に関して、特に反省しなければならないことが二つある。ひとつは、自民党の総務会がコメ支援を了承し、これに対して家族会や支援団体が「政府のやり方はおかしい」と抗議した際、出来るだけ早く家族に会って説明すべきだったのに、これを怠ったこと。その場でどんなに非難されても、政府がコメ支援を決めた経緯について、さらにはそのことに伴う自分の行動の真意について「説明責任」を果たすべきだった。話し合っても「分かってもらえないだろう」という気持ちが、迅速な反応を妨げてしまった。

 

 もうひとつは、被害被害者の方々の訴えを長年にわたって支援してきたグループの存在やその活動を十分に把握しないまま、見切り発車をしてしまったことだ。政治家として、とにかく被害者家族に直接会って話を聞き、説明したいという気持ちが強かった。家族会や救う会等と事前に相談しながら進めていれば、余分な摩擦は避けれたかもしれない。ここらへんはいかにも稚拙なやり方だったと思う。

 

 昨年末に行われた第3回の日朝協議で北朝鮮政府から日本側に手渡された「横田めぐみさんの遺骨」なるものが、真っ赤な偽物であることが判明した。記者会見で怒りを露わに娘や安否不明の方々の救出を訴えていた横田夫妻の必死の表情を見ながら、外交に携わる政治家の一人として、拉致問題の解決に改めて真剣に取り組まねばならないと強く思った。

 

 ただし、ひとつ見誤ってはいけないことがある。それは、対北朝鮮外交は、民意によって選ばれた「政治」が責任を持って決めるという原則だ。拉致被害者家族の方々の思いや政策提言をしっかりと受け止めながら、さらには世論の流れをきちんと見極めながら、しかし、北朝鮮に対して具体的にどんな政策を実施するか、拉致問題と核・ミサイルの問題を解決するために「対話と圧力」のバランスをどうやって取っていくかということは、総理と政府を支える与党の政治家が、冷静に、戦略的に判断して決めていかねばならない。




 残念ながら、外交政策に「確実に正しい答え」などは存在しないし、それが正しかったかどうかはその後の歴史によってしか評価され得ない。たとえば、ヒットラーの侵略を助長したという悪名高い英国首相チェンバレンの「融和政策」も、当時は「戦争を回避した巧みな外交」ともてはやされた時期があったことを思い出して欲しい。重要な政策決定であればあるほど、最終的には政治(首相と内閣と与党)が最も正しいと思う選択肢を決定し、政治が結果責任を負うということしかないということだ。ましてや、北朝鮮のような国家の反応を100%予想することなど出来るはずがない。

 

 首脳会談でトップが合意した「白紙に戻して調査をする」という約束を踏みにじった北朝鮮の今回のやり方には、もう怒りを通り越して「呆れる」以外にはない。しかしながら、北朝鮮政策は感情論だけに流されてはいけない。山本一太は、自民党拉致対策本部の下に設置された「対北朝鮮経済制裁シミュレーション・チーム」の事務局長を務めている。安倍幹事長代理(拉致対策本部長)や菅義偉衆院議員(シミュレーション・チーム座長)と頻繁に連絡を取りながら、5段階の制裁プランを練り上げた張本人の一人だ。当然、「経済制裁」というアプローチを支持している。




 が、経済制裁は制裁をすること自体が目的ではない。あくまでも北朝鮮の姿勢を変えるための手段(カード)だ。このカードは、金正日総書記がけしからんから切るというものではない。経済制裁のタイミングと方法、その効果を十分に考えながら、戦略的に(しかし敢然と)使っていかなければならない。「圧力をかけるべきだ(経済制裁の一部を発動すべきだ)」と主張している理由は、世論が北朝鮮に対して怒っているから(世論を満足させるため)ではない。現時点では、より強硬なメッセージを送ることが、現実的に(戦略的に)北朝鮮とのせめぎ合いを有利に運んでいくために「ベターな選択」だと信じているからだ。

 

 昨年12月、テレビ朝日の「ワイド・スクランブル」という番組に生出演した。テーマは北朝鮮に対する経済制裁の是非。スタジオで家族会の事務局長である蓮池透氏と久々に一緒になった。蓮池氏は、「経済制裁はひとつの方法だと思うが、制裁をやるなら(日本政府には)ちゃんとした奪還シナリオに基づいて戦略的にやっていただきたい。」という意味の意見を述べていた。前述したように、北朝鮮を相手に確実なシナリオを描くのは無理だ。が、蓮池氏のコメントはまさしく問題の本質を突いている。出演コーナーが終わり、ゲスト席を離れた。その際、引き続きスタジオに残った蓮池氏とガッチリ握手して…別れた。