午後5時。帝国ホテルで行われた結婚披露宴へ。新郎は福田康夫前官房長官の長男。新婦は新郎がつい最近まで務めていた三菱商事の同僚とのこと。媒酌人は森喜朗前総理(清和政策研究会会長)夫妻だった。出席者は300人くらい(?)だったろうか。政治家の子弟にありがちな大袈裟な披露パーティーという感じではなかった。(*そこが良かった。)スタンダードで品のある披露宴だった。メインテーブルに座った威風堂々とした背の高い新郎とチャーミングで小柄な新婦は、とてもお似合いのカップルに見えた。小泉首相や奥田トヨタ社長(経団連会長)をはじめとする政財界の重鎮や地元群馬の有力者がずらりと顔を揃えていた。

 

 披露宴では、まず司会の2人(三菱商事の同僚と某テレビ局の女性アナウンサー)から、新郎・新婦の経歴やパーソナリティーについての紹介があった。続けて媒酌人の森前総理が挨拶。スピーチの中に、「自分が政治の師と仰ぐ故福田赳夫先生の孫にあたる新郎の結婚披露宴の媒酌を務めることになるとは、夢にも思わなかった。とても名誉なことだ…特に、今日はここしばらく話もしていない小泉総理の横の席に座ることになっている。(ここで会場から笑い)これも故福田赳夫先生のご配慮なのかなと思う…。」というフレーズがあった。これを聞いていた小泉総理は身体を揺すって反応して(笑って)いた。

 

 ちなみに、メインテーブルのすぐ前の席だけは長いテーブルを二つ並べてあり、その細長いテーブルの回りを各界のVIP(森前総理夫妻、小泉首相、扇千景参院議長、奥田経団連会長等)がぐるりと囲んで座るというセッティングだった。新郎・新婦のメインテーブルに一番近いところに小泉総理と森元総理、総理の横に扇参院議長。向かい側には、亀井静香氏と塩川正十郎氏が座っていた。(*結構、すごい組み合わせだ。)媒酌人の挨拶の後で、二人の主賓がスピーチした。最初が新郎・新婦の上司だったという三菱商事の役員。次が奥田経団連会長だった。奥田会長がトヨタ車のエピソードを使って祝辞のメッセージにした「Age Gracefully」(どの年代になってもいい人生を送る)という言葉は心に残った。

 

 続けて小泉総理による乾杯の発声。グラスを握った小泉さんの最初の言葉は、「(こんな状況で)どんな会合に出ても批判されますが、今日は、私の政界の父である福田元総理のお孫さんの、しかもおめでたい披露宴の席です。だから今回だけは許されるだろうと思って出てきました。」というものだった。森元総理のジョークを返す形で、「今日は、最近恐くて話も出来ない森元総理と一緒の席。これも、故福田赳夫総理のお陰かなと思っています」と話した。(*森さんはニコニコしながら聞いていた。)

 乾杯の後で、歓談の時間になった。自分が座ったのはVIPテーブルからそう離れていないラウンドテーブル。右には某新聞社の会長。左には同じ群馬選出の小渕優子代議士。そのさらに左には宮城県選出の愛知二郎参院議員が座っていた。小渕優子さんとまともに「政局」の話をしたのはこれが初めてだ。(*これはちょっとした収穫だった。)乾杯後の祝辞や友人のスピーチの合間に、いくつかのテーブルを回った。地元有力者や先輩議員とさり気ない会話を交わした。

 

 小泉総理と森元総理の座っている席のほうに目を向けると、なるほど2人で何か言葉を交わしている。小泉総理とひとことでも話したかったが、遠慮することにした。本当は「総理、いよいよ正念場ですね。大変だと思いますが、頑張ってください!」と言いたかった。うーん。「郵政民営化と三位一体、両方とも中央突破を図るつもりですか?」と聞けばよかったなー。(*もちろん、総理から返事が聞けたとは思わないけど。)

 

 安倍幹事長代理が、若手議員3名のいるテーブルにフラリとやってきた。某新聞社会長に挨拶をしながら、「今日は、一太ちゃんは何もやりませんから。歌も歌いません!今日、騒ぐと政治生命の危機になっちゃいますので(笑)」と言って去っていった。しばらく後で(こちらから)もう一度、安倍氏のテーブルに行き、「対北朝鮮経済制裁シミュレーション・チームの拉致対策本部に対する中間報告ですが、11月9日前にやらせてください!」と念を押しておいた。

 

 小泉総理は1時間ほど(?)披露宴の会場にいた。総理が席を立つのを見はからって、森元総理の席に向かった。森さんとこんな言葉のやり取りをした。「森会長。今日は、大役、ご苦労様です。」「うん。」「ところで、先日立ち上げた安保理改革の議員連盟に入会していただいて(*森氏の自筆による入会申込書が送られてきた)、ありがとうございました!」「思ってもみない人が参加してきて、困ってるんじゃないか。」「いいえ、そんなことはありません。感激しました。」「そんなこと言って、年寄りで入ってるのは、オレくらいなんだろう。」「いや、発足会合には玉沢徳一郎先生(清和政策研究会代表幹事)も来て、いい発言をしていただきました。」「ふうん、そうか。まあ、頑張れよ。」(*あれえ、ずいぶん優しい表情だなあ。)

 

 くるっとテーブルを回って、森氏の正面に座っていた亀井静香氏にこう話しかけた。「亀井先生、どうも、ご無沙汰しております。」(*亀井さんと話すのは2年振りくらいだろうか。)亀井氏は、「おお、あんたか。」と言って握手の手を差し出した。そして握った手を引き寄せて、こう言った。「いいか。山本君。他に言う人がいないと思うから、ひとこと言っておくぞ。」「ハイ、なんでしょうか」と身構えて耳を近づけた。「世代交代の動きについて叱られるに違いない」と思ったが、亀井氏のアドバイスは次のようなものだった。

 

 「いいかい。政治家というものは軽くてはいけない。君も亡くなった親父さん(亀井氏とはとても親しかった)のように、落ち着いた迫力というものを持った政治家になっていかないといかん。ギターを弾くのは最初はいいが、いつまでもやってちゃいかんぞ。誰も言う人がいないと思うから、オレが言っておく!」「ハイ、亀井先生の言葉はしっかり心に刻んでおきます。」と答えた。「よし、しっかりやれよ!」こんな会話を交わしながら、亀井派の荒井広幸参院議員の話を思い出した。「山本さん。亀井さんというのはひとことで言うと、自民党の最後の派閥的リーダー、いわゆる親分なんだよな。」

 

 亀井静香氏が「チャーミングな人物」であることは疑いがない。が、やはり自分とは異なる「古い政治文化」の中に生きている。政策の路線も違うし、残念ながら政治行動を共にすることもないだろう。「ギターを弾く」という行為は、亀井さんにとって「政治家として不適切な行動」の象徴なのだと思う。が、政治は生き物のように変化する。政治家の意識も有権者のマインドもどんどん変わっていく。政治リーダーのタイプだってそうだ。「音楽という媒体を使って政治のメッセージを届ける」ことは、とても有効な政治キャンペーンのひとつだ。山本一太の「政治と音楽ライブ」を聴いてもらえば、きっと分かっていただけると思うんだけどなあ。

 

 それはともかく、「政治家は軽くちゃあ、いかん!」というアドバイス。大事に胸の奥にしまっておきます。ありがとうございました!!

追伸:披露宴の会場で三菱商事の会長と再会した。5年前、外務政務次官として訪韓した際、ソウルで「日韓友好」をテーマにしたライブコンサートをやった。その際、いろいろとお世話になった会長(確か当時は社長)だ。このプロジェクトがその後の自分の日韓議員交流にどれだけ役に立ったことか。数年前にあることで連絡を取ろうと試みたが、社長室の(?)意地悪なスタッフに警戒されて、なかなか話が出来なかった。ああ、これでまたルートが繋がった。その後の日韓議員交流や日韓関係の展望について、一度、ご報告にうかがうことにしよう。