夕方まで東京日程。午後5時の新幹線で地元に入り、伊香保町主宰の「ハワイアン・フェスティバル」(最終日)に出席。会場に設営されたテントの陰でアロハシャツに着替え、挨拶や握手をしながらイベント広場をくるっと一回りした。首にレイをかけたまま閉会式でスピーチし、早々と会場を発った。午後9時30分。高崎駅から東京行きの新幹線に乗り、車中でキーボードを操作している。本日は終日、某TV局のカメラが同行した。(*車中でもカメラを回している…熱心だなあ。)いいところを見せようとしてフラダンスの輪に入ろうと試みた。が、やっぱりダメだ。1人だけ違うパターンで踊る勇気がなかった。(*このダンス、意外と難しい。)

 

 勇気といえば、昨日午後1時から3時まで党本部で行われた「党改革検証・推進委員会」で、盟友河野太郎衆院議員が勇気ある発言をした。テーマは、先の参議院選挙結果についての総括だった。この席で、河野氏が「現有の51議席確保という目標を割り込んだにもかかわらず、参院選挙の責任者だった青木幹雄幹事長の議員会長昇格は説明がつかない」と噛みついた。約6年前。衆院選挙の後に開かれた自民党の両院議員総会で、当時の野中弘務幹事長に公然と文句をつけたシーンが甦ってきた。さすがは太郎ちゃん。この度胸は大したものだ。

 

 河野太郎氏に続いて自分も発言した。本当ならば、「河野議員の意見に全く賛成だ。議員会長昇格は一般国民の感覚とずれている」と発言したかった。が、参院自民党の議員会長選挙で独自の候補者を擁立出来なかった。青木氏の議員会長昇格を阻めなかった。正式な手続きに基づいて決まったこの人事に(しかも参院自民党の議員総会ではなく)党の改革検証・推進委員会の場で文句をつけるのは、筋違いだと思った。ちょっと卑怯な気がした。自分が青木氏だったら、「じゃあ、なぜ参院の特別総会で反対を表明しなかったのか」「他の候補者を擁立して戦えばよかったではないか」と言うに決まっている。参院の人事には一切関わっていない河野氏と同じような主張は出来ないと思った。

 

 加えて、安倍幹事長も青木幹事長も(以前に比べると)「今回の選挙が厳しい結果」であったことを繰り返し強調していた。「安倍&青木チームが現時点では選挙を戦う最強チームであったことは間違いない。それだけに49議席という結果は深刻だ。自民党のイメージを回復させない限り、長期低落傾向を止めることは出来ない。そのために、人事でも政治とカネの問題でも、国民に分かりにくいこと、ちゃんと説明出来ないことはするべきではない。」そんな中途半端なフレーズに終わってしまった。

 

 昼。清和政策研究会(森派)の総会で、同僚議員や先輩議員からこう言われた。「戦う山本一太がすっかりトーンダウンしてるって聞いたけど、ホント?」「君も頑張れよ。少し矛先が鈍ってきたって話じゃないか。」「いや、トーンダウンなんてしてませんよ!」と答えた。自分の姿勢は全く変わっていない。今でもあの人事には反対だし、記名投票があったら白紙にするか、違う人物の名前を書いたことは間違いない。

 

 それにしても、名前まで出して議員会長人事を批判した太郎氏を一人で突っ込ませる形になってしまった。「理屈がおかしい」「筋が違う」と罵倒されたとしても、もっとハッキリ言うべきだった。「危機感が足りない。今度の人事がその象徴だ」と。ああ、こんな「小利口な」コメントをしてしまった自分が情けない。ベテラン政治家じゃあるまいし。初心に返らないと。

 

 え、車内でインタビュー撮るんですか?? じゃあ、パソコン、しまいます。続きは次回のレポートで。