先の選挙について、ひとつ言い忘れていたことがあった。あちこちの選挙区を仲間の応援に飛び回りながら、感じたのは、「民主党に(強い追い風)は吹いていない」ということだった。今回の参院選挙と自民党が大敗した15年前の消費税選挙を比べる人がいるが、あの時とは全くレベルが違う。消費税選挙では、2つか3つの地域を除いて、ほとんどの1人区で自民党候補が敗れた。当時、東京でサラリーマンをやっていた自分も週末に何度か亡父の選挙の手伝いに入ったのを憶えているが、それは「すさまじい逆風」だった。今回の選挙で、年金問題や多国籍軍の問題についての有権者の反感は感じたものの、かといって、民主党ブームが起きているという事態ではなかった。

 

 整理してみると、(1)小泉プラス安倍・青木両幹事長という最強の布陣(2)公明党の全面協力(3)内政・外交のパフォーマンスの断行(4)民主党ブームの不在。この4つの条件が揃っていたにもかかわらず、最低目標ラインを割り込んだということになる。そう考えてみると、2週間前に決着した参議院選挙の結果を左右したのは、国民が年金法案の取り扱いに反発したとか、多国籍軍への協力に違和感を感じているとか、そういう一過性の話ではないと思う。もっと大きな変化の流れがあったことを感じる。ここを読み違えると、自民党に未来はない。

 

 さて、80年代半ばから90年代半ばにかけて「少年ジャンプ」に連載され、一世を風靡した「ドラゴンボール」(作:鳥山明)という漫画(名作)があった。宇宙の戦闘民族サイヤ人として生まれ、地球で育ったスーパーヒーロー孫悟空が、世界を守るために様々な敵と戦うという痛快なストーリーだ。その物語の中に、「スカウター」という敵の戦闘力を測るサングラス型の機械が登場する。相手の持つ生体エネルギーや「気」を感知し、それが数値になって表示される仕組みだ。実は、山本一太にも政治家の戦闘力を調べる独自の「スカウター」がある。そして、仲間であっても政敵であっても、回りにいる政治家の等身大の「力」を常にチェックしている。相手からも同じように評価されていることは間違いない。

 

 政治家の戦闘力を測る基準はいくつかある。たとえば、政策立案の能力があるかどうか。自分のやろうとしていること、またやったことを内外に発信する力があるか。政局できちんと戦えるタイプか。相手にダメージを与える攻撃力、または批判や攻撃に耐えるディフェンス力があるか。選挙に強いかどうか…等々。あまり外に言ったことはないが、自分はいつも次の二つの側面から回りの政治家の力を判断することにしている。それは、(1)この政治家とお互いに地縁も血縁もない選挙区で戦った時、勝てると思うかどうか(2)この議員と互いの政治生命をかけた闘争をしなければならなくなった時、裏と表の攻撃で手痛いダメージを与えられるかどうか。そしてどのくらいの反撃を喰うか。 不思議なもので、この2つのスコープにあてはめてみると、その政治家の行動パターンはもちろん、自分との未来の関係までが見えてくる。

 

 全く同じ条件下の選挙で戦って勝てるかどうか。これは、その政治家の力量を判断する重要なポイントだ。選挙、特に昨今の国政選挙は、(ごく一部の例外を除いて)候補者の個人的な魅力で決まる。とりわけ、地縁も血縁もない選挙区で競うということになれば、候補者本人の知識とビジョン、行動力、情熱と使命感、戦略性、説明能力やコミュニケーション能力のすべてが問われるゲームになる。河野太郎氏や世耕弘成氏が「圧倒的な選挙力」を有しているのは、先代の地盤や家柄だけのせいではない。だって、この2人と真っ新な選挙区で戦うことを頭に描いたら…きっとギリギリの勝負になると思うからだ。(ううむ。負けるかも。)

 

 どちらか一人が生き残るという戦いになった時、政治家は手段を選ばない。もともと、そういう人種だ。政治活動や政治資金の中身が不透明で、オープンに出来ない政治家。地元企業に対する違法な口利きの噂が絶えない政治家。女性関係のスキャンダルを抱えた政治家。こういう国会議員は(たとえどんなに政策や政局が出来ても)山本スカウターの計測では「戦闘力がない」ということになる。目的のためにはそれこそ何でもやる旧世代の恐ろしい党人派にそうした弱点を突かれ、恫喝されたら、全く動けなくなるのは目に見えているからだ。

 

 誰一人として完全にルールを守れない既存の政治文化の中で、苦しみ、もがいてきた。雑誌で政治資金の流れを公開したり、超党派で古い政治システムを変えるためのグループの結成を呼びかけたりしてきたのは、「今の政治文化そのものを変えないかぎり、政治とカネをめぐる不祥事の根を絶つことが出来ない」、そして「個々の政治家が自信を持って政治活動をする状況を作りたい」という切実な思いからだ。が、もう一つの理由は、政治家としてのディフェンス(防御能力)を固めること。不透明な部分を抱えたままで、恐竜の群れと戦えるわけがない。

 

 前々回のレポートで、青木幹雄幹事長のことが個人的に嫌いではないと書いた。むしろ、一人の政治家として尊敬している部分もあると。スカウターを向けてみると、青木氏の戦闘力は、攻撃面でも防御面でも「圧倒的」だ。政局での勝負強さ、政治家としての胆力と行動力、各界との広範なネットワーク、選挙中一度も地元に戻らなくても圧勝する選挙力、資金力、情報力…。山本一太の戦闘力数値と比較してみると、「スーパーサイヤ人に変身する前の悟空」と「進化した魔神ブー」(「ドラゴンボール」を読んでいない皆さん、ごめんなさい!)くらいの力の差がある。

 

 その青木幹事長が絶大な権力をふるう今の参院自民党で青木氏の創り上げたルールに従わないことは、何を意味するか。まず、現在の支配構造が続く限り、参議院でも政府でも重要なポストからは外され続けるだろう。これは当然のこと(いつものこと)だ。小泉総理は「参院のことはすべて青木さんに任せている」という姿勢なので、参院枠を超えて抜擢されるなどということはあり得ない。さらには、所属する森派内でも引き続き幹部の不興を買うので、人事ではさらに不利な状況になる。

 

 加えて、「ポストを干される」だけで終わるとは限らない。ちょっとしたことで政治的に追いつめられ、参院自民党を追い出される(普通なら考えられない…どんな苦しい時も自民党議員としてのアイデンティティーを持って発言し、行動してきたのだから)とか、あるいは「議員バッジ」そのものを外さなければならなくなる可能性も(50%くらいは)あると覚悟している。

 

 昨晩、夕食を食べながら妻にその話をした。彼女は心配している様子もなく、「へえ。そうなんだ。まあ、その時は、2人で協力すれば何とかやっていけるわよ。」と言っていた。そうだ。真剣に政治をやってきただけに、発信したいことは山ほどある。以前のレポートにも書いたが、たとえ政治家でなくなっても戦う方法はある。そして、政治への思いがあれば、いったん政界を離れたとしても、また別のチャンスにめぐりあうかもしれない。さらに言えば、参院自民党の「暗黒時代」がずっと続くわけでもない。そんなに簡単にやられてたまるものか!!

 

 本日はここまで。続きは今晩のレポート「不可解な人事:その4」で。