7月16日。午前10時30分。ワシントンDCから列車(アムトラック)でニューヨークに向かっている。この東部の2大都市間の移動に列車を使うのは10数年ぶりのこと。奮発してファーストクラスの切符を買った。DCの駅を発って30分経った頃、めずらしく「頭痛」に見舞われた。飲み物を運んできた女性スタッフに、「ちょっと頭が痛いんだけど、アスピリン(頭痛薬)をもらえませんか?」と言うと、「この車両から2つ向こうの食堂車に行ってください。そこで手に入るから」という返事。(*この対応が、いかにもアメリカだ。)早速行って見ると、確かに鎮痛剤(アスピリンではなくタイラノール)を売っていた。2錠をポンと口に入れ、水で流し込んだ。20分ほど目をつぶっていたら少し楽になってきた。熱い紅茶を注文し、パソコンの電源を入れた。これなら何とか書けそうだ。ううむ。飛行機より揺れるぞ。列車の機能といい、サービスといい、やはり新幹線は世界一だと思う。

 

 さて、まず昨日(7月15日)のレポートの続きを完成させないといけない。上院ビルの中にあるルーガー上院外交委員長のオフィスに到着したのは午後4時10分。ルーガー上院議員のスタッフが丁重に迎えてくれた。「ルーガー委員長は今、別の場所でライス大統領補佐官と会っています。補佐官との会談が終わり次第、かけつけるということなので、しばらくお待ちください。」そう言われて、オフィスの入口近くにあるこぢんまりした会議室に通された。委員長が到着するまでの約15分間、外交委員会のスタッフと事前にいろいろな話をした。上院外交委員会の下に設置されたアジア太平洋小委員会の委員長(だったと思うが)を務めるブラウンバッグ上院議員が、議会に「北朝鮮自由化法案」(The North Korean Freedom Act)というのを提出している。この法案の審議状況について、貴重な情報を得ることが出来た。

 

 唐突にルーガー委員長が入って来た。「いやあ、申し訳ない。ライス補佐官とのミーティングが長引いてしまってね。」そう言いながら握手の手を差し出した。その手をしっかり握りながら、「いいえ、お忙しいのは分かっていますから。時間を取っていただいたことを感謝します。」と答えた。「いやいや、あなたが日本の外交委員長として私を訪ねてくれたのはとても光栄です。」早速、午前中に修正したばかりの英語の提言ペーパー「北朝鮮問題に関して両国の議会が定期的に情報交換出来るフォーラムを立ち上げる提案」を説明し、会談が始まった。

 

 約40分。北朝鮮問題を中心に、イラク情勢、日米関係、大統領選挙の展望まで幅広いテーマについて意見を交わした。この会談は、外務省以外のルートでセットした。だから、大使館員は誰も同行しなかった。もちろん通訳もいないし、同席した外交委員会のスタッフもほとんど口を挟まなかった。それだけに、かなり中身の濃いミーティングになった。

 

 なぜだろう。99年に外務政務次官として森ークリントンの日米首脳会談に同席した時よりも緊張した。何を話したか、北朝鮮に関する提案以外の部分はよく憶えていない。ハッキリしているのは、米国上院の実力者であるルーガー委員長が品格と実力を兼ね備えた立派な政治家であること、そのルーガー上院議員が参議院外交防衛委員長である自分を対等のカウンターパートとして扱ってくれたということ、そして最も重要なのは、北朝鮮問題を議論するために日米両国の議員によるフォーラムを立ち上げるというプランについて、ルーガー委員長が協力を約束してくれたことだ。さらに、上院外交委員長が(日本の委員長とは比べ物にならないくらい)米国の外交政策に大きな影響力を持っているということも改めて実感した。昨年、参院の外交防衛委員長に任命された時に立てた目標を、また一つ、クリアした。日米両国の議員による第一回目のフォーラムは、なんとか年末までに実現させたいと考えている。

 ルーガー委員長のオフィスから、そのままナショナル・プレスセンターへ。午後5時に予定していた日本プレス向けの記者会見に遅れて飛び込んだ。委員長会談の中身を思い出しながら、成果を説明。質疑に応じた。あれえ??やけに知ってるジャーナリストが多いな。

 

 夜は米国人4人との夕食会。母校ジョージタウン大学のすぐ近くにある上品なレストランに招かれた。情報関連ベンチャーの経営者、リゾート産業の関係者、国防総省のスタッフという組み合わせ。それぞれ魅力的な人物だった。ホテルに戻ったのは午前12時近くだった。

 

 頭痛はずい分、やわらいできた。気分の悪いのも直ってきた。これなら紅茶も飲める。ニューヨークまであと30分。窓から景色なんか見て、少し列車の雰囲気を味わえそうだ。ニューヨークの活動については今晩のレポートで。