福岡から最終便のフライトをつかまえた。機中で休もうと思ったが、演説の熱が残っているせいか、頭脳が(いつもどおりの遅いスピードではあっても)ギューンと回転している。成田空港に着く前に、本日4本目の短いレポートをしたためることにした。

 

 福岡空港から佐賀県の決起大会会場へ向かう途中に、友人から電話が入ってきた。本日夕方の某TV局のニュースで、「新世代号」によるキャンペーンのことをチラッと(しかも好意的に)取り上げてくれたらしい。先日の密着取材を、しっかり活かしてくれたようだ。嬉しかった。

 

 さて、小泉総理には、ひとついいところがある。それは、他の政治家の姿勢や政策を批判することはあっても、けして個人的な中傷をしないということだ。「小泉さんて、人の悪口を言わないから、いいよね。」地元の支援者からよく聞くセリフだ。9年前、国会議員になったばかりの頃、小泉純一郎氏の最初の自民党総裁選挙(相手は橋本龍太郎元首相だった)に引きずり込まれた。初めて小泉純一郎という政治家を間近に見ることになった。以来、小泉首相の「人の悪口を嫌う」路線は一貫している。だから、これは「計算」ではなく、小泉さんの「性格」だと思う。

 

 メディアの最も重要な役割は、権力をチェックすることに他ならない。「批判」がなければ民主主義は機能しないし、社会の健全性も保たれない。だから、政治とメディアには健全な緊張関係がなければならない。マスコミが政権にすり寄ったら、おしまいだ。が、批判と中傷は違う。政治という職業の重要性や責任を考えれば、個々の議員に高いモラルが求められるのは当然だ。でも、40年も前のことまで持ち出して、「あの頃はこんな風だった」「こんな失敗をした」などという話をほじくり出すのは(リーダーを目指す以上、その程度のことは覚悟しなければならないとは思うが)、ちょっとやり過ぎだと思う。

 

 マスコミ、特にテレビという恐るべき影響力を持つメディア空間で、(政策や政治姿勢を批判することは構わないとしても)平気で特定の人間を中傷したり、個人の人格を否定するような発言を繰り返す人物を見ると、「腹が立つ」というより、「この人は大丈夫なのかな?」と思ってしまう。それが大きいか小さいかは別として、人生で一度も恥ずかしい失敗をしたり、間違いを犯したことのない人間なんていないはずだ。たとえば、学生時代に恋愛でバカな行動を取ったり、ルールを破ったり、思いがけずに他人を傷つけてしまったり…。普通の人間は、いろんな失敗を経験しながら(昔のチョコレートの宣伝じゃないけど)「みんな後悔したり、悩んだりして」成長していく。誰だって、人に知られたくない恥ずかしいエピソードの一つや二つはあるはずだ。もし、「自分はすべてのルールを守り、過ちを犯したことも、失敗したこともない」などという人がいたとしたら(実際にいるわけがないけど)、これほど退屈で魅力のない人物はいない。

 

 ふうむ。TVカメラの前でここまで他人を罵倒するこの人物は、この有識者(?)は、これまで完璧な人生を送ってきたんだろうか?女性関係の過ちなんて一度もないのだろうか?家庭はすべてうまくいってるんだろうか?お金の問題で何か隠していることはないんだろうか?人に言えないような趣味とかもないのだろうか?会社で問題を起こしたことはないのだろうか?そして、自分が攻撃される側になって「すべてを調べられ、公表されたとしたら」、どう感じるだろうか??

 

 このレポートにも一度書いたことがある。亡くなった母がよくこんなことを言っていた。「人に対して投げられた悪い言霊は、必ず自分に返ってくるのよ。だから、大勢の前で人を傷つけるような言葉を使ってはいけない。人にはそれぞれプライドがあるんだから…」と。一度発せられた負の言霊は、それを浴びせられた人間の怒りと憎しみを増幅させながら、必ず、それを口にした人に戻ってくる。どんなに安全なところに身を隠しても、時間を味方にしても、この「還元の法則」からは逃げられない。

 

 自分も(時々ではあるが)政治家としてメディアで発言する機会を与えられる。もちろん、特定の政党や政治家の政策とか姿勢を批判しなければならない時もある。が、批判はしても、単なる中傷や人格攻撃になってはいけない。常に自分にそう言い聞かせている。

 

 政治家になる以前は、自分の中にこれほど激しい闘争本能が潜んでいるとは夢にも思わなかった。誰かを憎むということは出来ない性格だが、許せない発言や行動が心に浮かぶ度に、この母の言葉を噛みしめている。

 

 おっと。揺れると思ったら飛行機が下降を始めた。続いて「着陸態勢」のアナウンス。これまでの最高速度で書いたレポートだな。これは。明日のレポートに続く。