午後6時。都内某ホテルの喫茶レストランで、「私が総理になったら」(中国語版)の出版プロジェクトの打ち合わせ。その場から中国の関係者に国際電話を入れた。二転三転の末、中国側の出版社がほぼ確定した。これまでのところは、順調に進んでいるようだ。最後まで油断は出来ない。場合によっては、プッシュのために日帰りで北京に飛ぶことも考えている。

 

 明日の午後1時20分。就任したばかりの細田博之内閣官房長官と官邸で面会の約束を取りつけた。「対北朝鮮外交カードを考える会」のメンバーとともに、特定船舶入港禁止法案の意味を説明し、併せて審議促進のサポートをお願いするつもりだ。先ほど、水野賢一代議士から、衆議院での政府提出法案(閣法)の大まかな審議状況について聞いた。今後の細かい日程は、与野党の国会対策委員会や議員運営委員会での交渉で決まっていくことになる。が、このペースでいくと、5月末までには閣案の処理が終わる計算だ。その時点から会期の終了する6月16日までの間に船舶法の成立を図るという流れになりそうだ。

 

 今晩も永田町周辺では様々な懇親会や飲み会(=悪巧み)が行われているに違いない。8年前に政界に入った頃は、一晩に3つくらいの会合をハシゴした時期があった。とにかく、「誰かと会っていないといけない」「どんな会でも呼ばれないと損する」みたいな強迫観念(?)があった。いつ頃からだろう。ある時点から、夜の会議(?)に声がかからなくても、全く不安を感じなくなった。他の政治家と酒(自分の場合はお茶)を酌み交わして、「オレたちは盟友だ!」なんて意気投合したり、「あいつはここが気に食わない!」などと悪口を言って溜飲を下げたりしても、本当の仲間は出来ないということに気がついたからだ。

 確かに、こうした集まりに顔を出して「実力者に気に入られる」ことは、参院自民党という閉ざされた空間でポストをせしめるためには有効かもしれない。が、そんなことにエネルギーを費やす暇があったら、少しでも政策の勉強をしたり、様々な分野の人間と情報交換したり、セミナーで議論したり、政局のための作戦会議をしたいと思うようになった。

 

 自分が参議院の執行部(国対とか幹事長室)に属していたら、他のメンバーとの懇親会は仕事をスムーズに運ぶために役立つ。が、常任委員会の委員長という今の立場では、夜の「飲み会」は重要度が下がる一方だ。アフター・ファイブの会合に呼ばれないと「仲間外れ」になるという永田町文化は古い。むしろ、毎晩、料亭の会合をハシゴしているような「勉強しない政治家」は、前世紀の遺物になりつつある。

 

追伸:

1.誘われていた夕食会はパス。午後8時に帰宅した。ここ数日は(夜の懇談を減らして)少し憲法の勉強をしようと思っている。

2.本日。国民年金保険料未納に関するテレビ局や新聞社のアンケートをまとめて提出した。ほとんどのアンケートは「1986年(国民年金が強制加入となった年)以降の未納記録」について聞いたものだった。念のため、86年以前のレコードについても調べてみた。ああ、まだあった。大学&大学院に在籍していた1978年から85年までの7年間、やはり国民年金保険料を収めていなかったようだ。ちょうど米国に留学していた時期と重なるため、納付義務があったかどうかを改めて調査している。が、少なくとも数年間は(確実に)払っていなかった。もう、ため息しか出ない。

 前回のレポートで国会議員になる以前の「未納の事実」について報告した。予想に反して「落ち込まずに頑張れ!」とか「失敗は失敗。これからしっかりやって」といった激励のメールが多かった。それだけに、この件について分かっている事実をすべて明らかにしないと…。これを教訓に、ここから一生懸命やっていくしかない。(ラテン系で、楽天的で、いい加減な性格のせいだ。)「未納者は給付を受けられないのだから脱税ではないが…」などという言い訳がましいフレーズは、これから二度と使わないことにする。