朝7時の新幹線で高崎へ。午前中は群馬県の山間地域(多野郡)を動き回った。後援会幹部の自宅を一軒一軒訪ね、年末の挨拶をすませた。「一太君、あちこちで活躍を見てるよ。」「山本さん、イラク問題は慎重に。でも、自分の信念は貫いてください。」「ハッキリものを言うから気持ちがいい。応援してるわよ。」自分を選んでくれた地元の有権者からの激励ほど嬉しいものはない。イエス、政治家だから。

 

 多野郡の町村では、景色の80%が山と緑の組み合わせで構成されている。澄んだ空気と豊富な水に恵まれた森林資源の宝庫だ。水のきれいな川では、山女や岩魚が釣れる。いつものように、自然のオーラが疲れ切った身体を癒してくれた。午後からも葬儀や弔問、某県議の国政報告会、隊友会や日独協会等の会合を次々とこなす。選挙区の行事が夜まで続いた。

 

 さて、昨晩は妻と渋谷で久々のデート。気さくな中華レストランで食事をした後、映画「ザ・ラスト・サムライ」を観た。この映画、時代考証はかなり大雑把(というよりいい加減)だ。が、こことここが歴史的に不正確、などという野暮なことは言わない。フィクションと割り切れば、十分に楽しめる。「魂を揺さぶられる」まではいかなかったが、なかなかの力作だった。特に「最後のサムライ」を演じた渡辺謙の演技は出色。噂のとおり、アカデミー助演男優賞にノミネートされても少しもおかしくない熱演だった。

 

 渡辺謙の演ずるサムライ集団のリーダー勝元とトム・クルーズ演ずる捕われの身となった米国人の大尉。この2人が満開の桜の下でこんな意味の言葉を交わすシーンがあった。勝元:「戦いで生き抜こうとしながら、実はどこかで死にたいと願っているのではないか。」大尉:「その...とおりだ。」勝元:「自分もそうだ。だから分かる。」

 

 山本一太はサムライとはほど遠い。命がけで政治をやっているとはとても言えない。睡眠不足が数日間続いたくらいで動けなくなったり、精神的なプレッシャー(?)で体調を崩したりする。体力的にも精神的にも強靭さが欠けている。覚悟も足りない。が、この2人のやりとり(セリフ)は心に響くものがあった。理由は明確だ。自分も、常に(政治家としての)「死場所」を捜している。別にカッコつけて言っているわけではない。本当にそう思っている。だいたいこのペースで走り続けたら、普通の人より早く「電池切れ」がやってくることは間違いない。

 

 そんなことをブツブツつぶやいていると、妻がちょっと驚いた表情で(半分怒りながら)言った。「え、何言ってるの。死んだら何も残せないじゃない。何があっても生きようという気持ちがなかったら、(政治家として)何も達成出来ないんじゃないの?!」

 

妻の言葉を聞きながら、先週、最終回を迎えたNHKの大河ドラマ「武蔵」のあるシーンを思い出した。確か「第2話」だった気がする。俳優の西田敏之が演じていたサムライが、若き日の武蔵にこう教える。「たけぞう、いいか。勝負に勝つということは、何があっても生きるということだ。最後の瞬間まで、生き抜こうと思うことだ。」

 なるほど。「名誉ある死」ばかりがサムライの本懐とは限らない。なにがあっても生き抜くという「武士道」もあるということか。