ずっと以前にこのレポートにも書いた覚えがある。選挙というのは、自分の回りにいる人間の本性や自分に対する本当の感情を知るための絶好の機会だ。こちらの選挙は散々妨害しておきながら、自分が関わる選挙の番になると、途端に愛想良くなったりする人も少なくない。もちろん、気味の悪い「猫なで声」を聞いても、変な幻想を抱いたりはしない。人間の性格や品性というものはそう簡単に変わるものではないからだ。正直な人は正直な人、嘘つきは嘘つき、そして、ベテランの叡智はベテランの叡智、老害は老害だ。それにしても、人間とはなんと都合のいい生物だろう。

 自民党総裁選挙の告示が迫っている。与党自民党のリーダー、すなわち日本の総理大臣を決める選挙だ。1人の政治家として、自分が心から応援したいと思う候補者(小泉総理)を支持したいと思う。誰かに命令されたとか、組織の論理とかいう理由で、本心と違う行動を取らねばならないとしたら、政治家になった意味がない。別に自民党の(参議院の)偉い人に当選させてもらったわけではない。自分が責任を取らねばならないのは、選んでくれた数十万の有権者に対してだけだ。

 約一ヶ月間、レポートの更新が出来なかった。いつものとおり、HPを毎日のようにチェックしてくれているアムステルダム在住の姉からメールが入った。「エッセイが途切れているけど...よっぽど忙しいのかしら。体調は大丈夫ですか。でも、一行でも書く努力をしてください!」毎日、あまりにも多くのことが起こるので、どこから何を書けばいいのか、全くわからない。が、とにかく気力を振り絞ってキーボードを叩いている。

 今週末、先々週に引き続いてTV朝日の「サンデープロジェクト」に出演することになった。自民党総裁選挙をめぐる若手議員討論会のパート2ということのようだ。他のメンバーは、総裁選への若手候補者擁立を画策してきた大村秀章衆院議員、河野太郎衆院議員、菅義偉衆院議員の行動派トリオ。前回の出演の際に、河野氏が、「新世代から総裁候補を立てられなければ坊主になる」と宣言した。さて、太郎ちゃんは潔く頭を丸めてくるだろうか、それとも「00候補出馬の電撃発表」という流れになるのだろうか。ちょっと気の毒だけど、多分、坊主でしょう。

 河野太郎と言えば、8月下旬に一緒にレバノンに行った。パリ経由で片道なんと20時間の長旅。2泊4日の忙しい日程だった。太郎氏が半年間にわたって一生懸命準備して来た日本とアラブ諸国のニューリーダー会議は、シリア政府の横やり(?)で急遽中止になった。それでも参加したのは、彼のプロジェクトをここで頓挫させてはいけないと思ったからだった。団長の太郎氏がやむを得ない事情で先に帰国しまうといったハプニングもあったが、出かけた意味はあったと思う。何より河野イニシャティブが未来に繋がったのだから。

 ベイルート(レバノンの首都)を往復する飛行機の中で、いろいろなことを考えた。有志議員で作りあげたマニフェストのこと、気鋭の金融コンサルタントとして活躍する木村剛氏と一緒に出版する予定の本のこと(本日、9月5日に弘文社より発売。タイトルは「最終審判」)、総裁選挙に向けての政局のこと、「私が総理になったら」の中国での出版プロジェクトのこと、選挙区の某市で立ち上げる新しい後援会メンバーのこと、新しいCD制作のこと...等々。8月中旬の新盆回り、その後の県内各地の挨拶回りを通じて感じ取った有権者のムードや支持者からの言葉も蘇ってきた。

 国会休会中に地元を回りながら、いくつか気になる声を聞いた。ひとつは県庁内の不協和音。ベテラン、若手問わず、県のスタッフが知事批判をしている。県政のことはよく分からないし、現職知事は真面目に仕事をこなしているように見える。が、この雰囲気は尋常ではない。自分が口を挟むようなことではないと思いつつ、ちょっと心配な感じがした。

 もうひとつは、政治家の口利きに関する苦情。「あそこの会社は、00議員を使ってこの地域の仕事を何でも持っていってしまう。いくら自分のところが苦しいからって、やり過ぎじゃないか!」「00事務所の秘書はこちらの領分まで土足で入ってくる。何をやってるのか分からないとでも思ってるのか!」なるほど、政治家の仕事というのは難しい。ある会社に仕事を世話するということは、その仕事から外された会社の恨みを買うということになる。

 幸か不幸か、山本事務所のスタッフがこの手の批判を受けることはないだろう。だって議員本人がこんなに利権に疎くて、口利きが苦手なんだから。それでも他山の石にしなければいけない。秘書は政治家本人とは違う。まず、そのことをけして勘違いさせてはいけない。スタッフにはそれぞれ自分の人生があり、家族がいる。現場で直接オペレーションに携わる秘書には常にリスクが伴なう。間違っても逮捕されたり、訴えられたりするような行動を取らせてはいけないと思った。そうだ。先日結婚した事務所の最年少スタッフの結婚披露宴でも、新婦にそう約束したんだった。

 ところで、今日は12時から高崎で行われた友人の葬儀に出席するため、地元と東京をマッハで往復した。亡くなった彼女は、まだ30代。モータースポーツの世界ではかなり知られた存在だった。全日本選手権を何回も制しているパートナーと組んで北海道で行われた国際ラリーで優勝したこともあった。4年前に吾妻郡で行われた国際ラリーで大会の名誉会長を務めたのは、彼女の熱意につき動かされた部分が大きかった。明るくて、爽やかで、笑顔のチャーミングなひとだった。「チャッピー」というニックネームで、FMラジオのレギュラーをやっていた時期もあった。彼女からのメールには、聡明さと感性がいつも溢れていた。

 今朝になって、故人のお父上から電話があり、1人しかお願いしていない指名焼香の後で、一言でいいから娘に言葉をもらえないかというお話があった。遺影の前に立ち、「これは弔辞ではありません。友人としてのメッセージです」と断った上で、彼女に対する思いをその場で言葉にした。葬儀でアドリブをやったのは初めてだった。「貴女には夢を持つことの大切さを学びました。人の夢は受け継がれていくものだと思います。私が、そしてここに集まったすべての人々が貴女の笑顔を思い出す度に、貴女が愛したモータースポーツのことを思い、貴女が情熱を注いだラリー競技に思いを馳せ、そして逆境にあっても、勇気と優しさを忘れなかった貴女の生き方を記憶に刻むでしょう...」と結んだ。サユリさん、短くても素敵な人生でしたね。ゆっくり休んでください。合掌。

 気がつくと午前1時を回っている。再開第一号はかなり長いレポートになってしまった。明日は高崎市で開催される「高崎野外音楽フェスティバル」にミュージシャンとして参加し、3曲歌うことになっている。そろそろ寝ることにしよう。