午前中。神奈川県選出の菅義偉衆議院議員の会館事務所を訪ねた。外為法改正案の現状や9月の自民党総裁選挙の展望等について意見を交わした。横浜市議から赤い絨毯に攻め上ってきただけあって、菅さんの突破力は本物だ。総裁選挙に対する立場は違っても、引き続きしっかり連絡を取り合っていくことを申し合わせた。




 早いのもので、参議院議員になって7年が過ぎた。全県一区の参議院選挙で当選するためには、どうしても地元の衆議院議員や県議会議員の後援会組織の力を借りる必要がある。衆議院が参議院に対して優位な立場にあるのは、憲法に定められた「衆議院の優越」という原則に加え、個々の参議院議員(特に選挙区)が、(特殊なケースを除き)同じ選挙区の衆議院議員の支援無しに選挙を勝ち抜けないという事情があるからだ。




 群馬県は保守王国。尊敬する地元の先輩議員や強力な県議団からの応援を受けて選挙を戦えるのは、参議院議員として極めて幸運だと思う。特に群馬県議会には魅力的な人物が多い。自分のことを息子や弟のように思って心配してくれるベテラン県議や、逆に自分の弟のような気持ちで付き合っている新人県議もいる。県内屈指の経済人に連合会長を務めていただいている「山本一太後援会」も(地域差はあるものの)かなりしっかりした組織だ。参議院議員としては相当恵まれた部類だろう。




 ただし、同じ系統のグループに属しているからといって、選挙区の衆議院議員や県議会議員の後援会の方々からの支援を「当然のこと」などと思ったことは一度もない。代議士であれ、県議であれ、政治家の後援会というものは、議員本人やそのスタッフが、長い時間と労力をかけて造りあげた「血と汗のネットワーク」だ。ある政治家が個人的にいくら自分に好意を示してくれたとしても、また、その議員の後援会で挨拶をさせてもらったとしても、他の政治家の後援会メンバーが自分を100%支持してくれるなどと考えるほどナイーブではない。そもそも政治家の後援会は、その政治家を応援したいと考えている個人の集合体に他ならない。本人と特別な関係があったとしても、そんな「タダ乗り」(フリーライド)がうまくいくはずがない。




 それだけに、他の議員の後援会や会合に招かれた時は、いつも真剣勝負だと思って臨むことにしている。まず、他の政治家の会で長々と話をするようなセンスの悪いことはしない。短い挨拶の中で自分にチャンスをくれた議員(主役)の素晴らしさを心をこめて支持者の方々に伝え、同時に自分自身のこともアピールしなければならない。乾杯の後は各テーブルを回り、一人一人と真剣に握手する。仲間や同志の厚意を無駄にしてはいけない。ここまでやってはじめて「独立自尊の一票」を動かせるのだと思う。




 当然のことながら、チャンスを与えてくれる人がいれば、逆に試練をつきつけてくる人もいる。過去7年間、某所から何度も次のようなお叱りを受けた。「お前は生意気だ!」「誰のおかげで当選出来たと思ってるんだ!」「次の選挙に立候補したくないのか、ええ、どうなんだ!?「あんな発言をするとは100年早い!」「政治は年功序列だよ!」(すべてオリジナルのまま...)特に二年前の参議院選挙の前(約一年間)は、恫喝と妨害の連続。結果だけ見れば圧勝だったが、内実は苦しくて、長い戦いだった。




 以前、このレポートでも何度か書いた覚えがあるが、二回目の参議院選挙を戦ってハッキリ分かった。選挙は一人では戦えない。いろいろな人の厚意や様々な組織の力に支えられて、初めて当選に手が届く。しかしながら、選挙に立候補する政治家自身に「組織の壁」を突き抜けるメッセージや魅力がなければ、一人一人に自分の思いを伝えようという熱意がなければ、激戦を勝ち抜くことは出来ない。




 ある組織を束ねるエラーイ人が万一そっぽを向いたとしても、自分に一票を投じてくれた有権者の気持ちをつなぎ止められるか。それだけの魅力と能力を備えた政治家に進化していけるか。次の選挙の成否は、まさにこの点にかかっている。




 こらからも、自分のやり方—守旧派や長老から確実に反発を招くスタイルーを変えるつもりはない。政治家として自分の信念を貫くことが、山本一太を選んでくれた国民に対する義務だと信じている。当然、4年後の選挙は、さらに厳しいものになるだろう。支持者の中には、「二回連続のトップ当選。しかも二回目の得票が一回目を上回った参議院議員なんて群馬では一人もいなかった。一太さん、次はもう安泰だよね」などと言ってくれる人もいる。が、そんな風に思ったことも一度もない。4年後の本当のライバルは、まだ見ぬ30代の新人になる覚悟している。次の選挙に勝つ碓率は、現時点で50%といったところだろう。




 組織の枠に縛られない一人一人の有権者が「山本一太はいい政治家だ」と思ってくれたら、おのずと道は開けるだろう。さもなければ淘汰されるだけだ。そうなった時は、自分自身に政治家としての資質が足りなかったということだと思っている。他方、このまま突き抜けていって生き残ることが出来れば、永田町の二級市民である参議院議員としては新しい存在感とイメージを生み出せるかもしれない。保守王国群馬における一つの実験と言えないこともない。




 サイトのフロントページに設けた「政治活動終了時計」は、着実に時を刻んでいる。一片の後悔も残したくない。緊張感をもって毎日を過ごしたいと思う。




追伸:

1.今月中に県内の「街頭演説」を再開する。もっともっと有権者に近づきたい。




2.何年先か分からないが、政治家でなくなった瞬間から「新しい戦い」を始めようと心に決めている。自分自身の政治家としての原罪、政治とカネの実態、回りの政治家に対する本当の気持ち...。国会議員の立場ではどうしても言えなかった真実を思う存分、発信したいと思う。今度は外から政治を変えるために。