午後の飛行機で妻がスリランカから戻ってきた。一緒に夕食を食べながら、さっそく出張の報告を聞く。北部の危険地帯(?)では反政府ゲリラともコンタクトが取れたらしい。現地での話を総合すると、日本政府が力を注いでいるこの国の和平プロセスの実現には、思った以上の時間がかかりそうな気がする。




 スリランカ人は基本的に素朴で親切な国民性。首都のコロンボには外資系のホテルも多く、海辺の景色も奇麗だったとか。それでも食糧不足に悩むレッドゾーンの地域は全土に広がっている。貧しい家庭では一日一食しか食べられないそうだ。(国内避難民の中には、ほとんど食べられない人々もいる。)




 料理は「美味しかったけど、すべてカレー味」だったそうで、当分の間、二人でカレーを食べることはなさそうだ。カレーといえば、現地の人のように「手で食べる」ことはさすがに出来なかったと苦笑していた。




 国際連合と聞いて恐らく多くの人が最初に連想するのは、ニューヨークのイーストリバー沿いにそびえる国連本部ビルとTVニュースでもお馴染みの安全保障理事会の映像だろう。国連が世界の平和と安全を維持する目的で創設されたことは間違いない。しかしながら、国連の予算やスタッフの多くの部分は社会・開発分野に投入されている。




 国連の強味はまさしく開発援助や復興支援、人道分野での活動において発揮されている。特に国連のこの分野での手足であるUNHCR(国連高等難民弁務官事務所)、UNICEFF(国連児童基金)、UNDP(国連開発計画)等には長年にわたる援助のための知識や技術、人材が蓄積されている。




 ここらへんがイラク復興に関して米国が国連の役割を完全に無視出来ない理由でもある。そして安保理の常任理事国でない日本が、国連貢献という枠の中で最も得意としてきたのが、こうした開発援助の分野であったことも忘れるべきではない。




 米国の主要な新聞であるワシントン・ポストの最近の国連関係の記事の中で「安保理のない国連は、今よりずっと機能するのではないか」という指摘があった。かなりの部分、同感だ。日本にとって最も都合のいい国連の姿は「安保理抜きの国際連合」かもしれない。




 国会議員と国連職員の会話は早々に切り上げた。これから音楽と映画のジャンルに移行します。話したいことは山ほどある。