どんな人物でも、権力の座に長くいると、知らず知らずのうちに「傲慢」になる。とりわけ、その権力者の力を牽制したり、バランスを取ったりする対抗勢力が存在しない場合はなおさらだ。ああ、人間とはなんと愚かな動物だろう。そして政治家とはなんとイヤな人種だろう。気がつけば、そういう自分も政治家だった。




 ところで、3月16日は亡くなった父の命日だった。当日、高崎のある会合で、その父の腹心だった元の政策秘書に会った。むこうから話しかけてきた。「一太さん、今日はお父さんの命日でしょう。高崎の自宅にご焼香にうかがおうと思ったんだけど、不在だとかえって迷惑だし。妻とも相談して行きませんでした」と言っていた。この心遣いは、とても嬉しかった。




 現在、高崎で某企業の社長を務める彼は、参議院議員だった父にとって、文字どおり「右腕」だった。亡くなる半年ほど前から、父親は体調を崩し、密かに入退院をくり返していた。その間も密命を受けてずっと飛び回っていた。あれだけ仕事に厳しかった父が最後は、「オレの考えていることを100%理解した上で動ける。百点満点だ」とまで話していた。




 ここ二年の間に、山本一太秘書団はかなりいい感じになってきた。が、すべてを任せられる「満点のスタッフ」はいない。自分自身がこれだけ不完全なのだから、当然のことかもしれない。生前、「政治家を目指してみないか」とか「秘書として助けてくれないか」という親父の再三の誘い文句に快い返事をしたことは一度もなかった。政治をファミリービジネスとしてとらえることにも違和感があった。(今でもこの考えは変わらない。)こんなことになるなら、生きているうちに「正しい秘書の作り方」なんかを伝授してもらえば良かったと思うこともある。




 まあ、どのみち同じ「人の使い方」は出来なかったろう。10年前と比べても、政治活動の定義や政治家に必要な能力は大きく変わった。自分と父親では、人間性も仕事のスタイルも違う。なにより秘書に求めるものが同一ではない。




 結局、スタッフは自分で育てるしかない。前述の元政策秘書も、最初から父の腹心だったわけではない。苦しい選挙をともに経験し、様々な修羅場をくぐり抜ける中で、固い信頼関係が生まれた。今の秘書チームは、二年前の苦しい選挙を逃げずに戦ってくれた仲間ばかり。フットワークもいい。絶対的な人数が不足しているというハンデはあるが、時間をかけて機動力のあるチームに進化させていくつもりだ。




 他の政治家の事務所を訪ねる度に思うことだが、秘書の表情には、そのまま彼等が仕える政治家のキャラクターが反映される。山本事務所には、一人一人の個性や魅力がのびのびと発揮出来るようなムードを作りたい。将来、新しいスタッフを募集する際には、希望者が殺到するような。




追伸:

 夜は妻と二日連続のデート。お互いにギリギリまで働き、夜8時30分に話題の「六本木ヒルズ」で待ち合わせた。ハーブの葉っぱ(?)が入ったシンプルなスパゲッティーを食べ、夜9時からヒルズ内で開催された「シークレット・ガーデン」のライブ・コンサートを聴いた。それにしても、オープンしたばかりの「六本木ヒルズ」は規模、施設ともに圧巻。大人が夜まで安心して遊べる知的空間というコンセプトが素晴らしい。新しい東京の名所になることは間違いないだろう。5月連休後に始まる「マニフェスト(国民との契約/国家ビジョン)勉強会」は、この巨大ビルディングの一角で産声を上げることになる。