朝8時過ぎの新幹線に乗った。高崎駅ではなく、軽井沢駅で降りる。吾妻郡某村で行われた元事務所スタッフ(前政策秘書)の父親の葬儀に参列した。故人には何度かお目にかかって話をした。特に、シベリア抑留を生き抜いた体験談は胸に残った。会う度に「いやあ、息子がお世話になって」とおっしゃっていた。ネアカで、人柄のいい人物だった。




 昨年12月で山本事務所を離れた元政策秘書は、本当に一生懸命やってくれた。一年半前の選挙では、地元に張りついて頑張ってもらった。どんな道を選んでも、きっと成功するだろう。たまには、古巣の議員会館に顔を出してほしいと思っている。事務所をやめたからと言って、人間関係が終わるわけではないのだから。




 東京駅から参議院議員会館に向かう。会館の事務所で、角川書店の関係者が待っていた。「わたしが総理になったら」の売り上げ状況を確認し、今後の宣伝戦略について話し合った。ハングルの翻訳版が出版されている韓国での出版記念パーティーは、4月下旬になる見込みだ。




 午後3時30分。新しい政治プロジェクトのためのビデオ撮影。多忙なスケジュールを縫って、民主党政調会長の枝野幸男氏が駆けつけてくれた。最大野党の政調会長という重職に就いても、ちっとも変わらない枝野さんだった。




 午後4時。参議院会館一階の会議室で「対北朝鮮外交カードを作る会」の第三回会合をやった。6名のメンバーのうち、5名が参加。参院法制局との協議をもとに準備した最初の法案ドラフト(外為法改正案)について、メンバー間で議論を交わした。来週中には若手有志による最終案をまとめたい。2月の中旬には自民党外交部会に持っていけるだろう。




 午後6時30分。某ホテルで開催された後藤田正純代議士のパーティーに顔を出した。さすがは注目の若手代議士だけあって、盛況だった。乾杯直前に会場を離れ、同じホテルの喫茶レストランへ。ここで北朝鮮問題等に関する取材を受ける。途中で小泉総理一行が入ってきた。この場所で総理と遭遇したのは二度目。あえて挨拶をせずに店を出た。




 別の会合を挟んで、最後の予定である都内の勉強会へ。与野党の若手議員、TVプロデューサー、ジャーナリスト等が集まっていた。気心の知れたメンバーとの放談を存分に楽しむ。時計に目をやると、すでに午後11時30分を回っていた。おっと、早く戻らないと「シンデレラ・リバティー」(12時までに帰宅するルール?)が守れない!