午前7時30分。都内某ホテルのラウンジで、来日中の韓国の友人と朝食を食べた。彼の名はジャン・ソンミン。昨年までソウル選出の国会議員だったが、選挙違反をめぐる裁判に敗れ、失職。現在は米国デューク大学で客員研究員をやりながら、米国と韓国を行ったりきたりしている。先月、北朝鮮が米国との枠組み合意に反して核開発プログラムを続けてきたことを公式に認めた。この理由についてジャン氏は、「北朝鮮としては、米国のイラク攻撃が行われる前に米朝交渉の仕切り直しをしたかった。米国がフセイン政権を打倒した後は、いよいよ北朝鮮にプレッシャーをかけてくる。その時、ピョンヤンの外交カード(核開発問題)は使えなくなるからだ」という分析をしていた。なるほど。ジャン・ソンミン氏はまだ30代。そう遠くない将来、政界へカムバックし、大統領を目指したいと熱く語っていた。




 午前10時から参議院外交防衛委員会。午後1時まで三時間の一般質疑を行った。委員長や自民党理事の了解を取って、委員会終了30分前に退出した。午後12時30分から国会近くの日本料理屋で開催された「日米青年指導者交流プログラム訪日団」との昼食懇談会に出席。小泉改革の展望や経済政策、日米関係等について米国の議員やスタッフと意見を交わす。フォーリー前駐日米国大使と久々に再会することが出来た。




 午後2時15分。役人からNPO税制についての説明を受ける。午後3時30分。経済活性化議連第一回会合。会長の尾身幸次前科学技術担当大臣が、「この議連は、自民党税制調査会に反対する会のように言われているようだ。が、ここでいい議論をして、それを税制調査会の結論に反映してもらえるようにしたい」と挨拶した。議連には、結局100名以上の与党議員が参加。尾身代議士の発想力と行動力に改めて感服する。




 午後4時。議員会館の事務所で、リトアニアのセマシュカ首相府外交部長と懇談した。知的で爽やかな人物だった。それに若い。リトアニアのEUやNATOへの加盟は時間の問題だろう。ソ連支配下の統制経済から、かなり早いペースで市場経済への転換を果たした。リトアニアといえば、世界的なバスケットボール選手を数多く生み出していることで知られる。理由を尋ねると、「米国帰りの人々がこのスポーツを持ち帰った。地位や影響力のある人々の行動は、社会現象になりやすい」という解説だった。




 午後4時30分。参議院議員会館一階の会議室で行われた「拉致議連」の総会に顔を出す。いわゆる朝銀問題についての説明を聞いた。




 午後6時30分から、旧国会対策委員長・副委員長による懇談会に出席。鴻池前委員長の大臣(構造特区担当)就任と、矢野筆頭副委員長の外務副大臣就任を祝う会だった。特にお願いしたわけではないが、鴻池国対が山本一太を外交防衛委員長に推挙してくれた(国対での努力を認めてくれた)ことは本当に嬉しかった。「汗をかいたといっても、国会対策の部屋でパソコンを叩いていただけじゃないか」などと上のほうに吹聴していた同期の議員がいたにもかかわらず。そういえば、今回の一連の不思議な人事をめぐる調査は終了。結果は言わない。何も知らなかったフリをして、やっていくつもりだ。




 午後9時。懇談会を抜け出し、赤坂の「新しい政治プロジェクト」に向かう。夜中近くまで激論?をやった。日本茶をすすりながら論文の原稿を書いている。ふと時計を見ると午前3時。あーあ、また4時間睡眠ってことか。