24日、午後8時45分。母が静かに逝った。73歳だった。政治家の妻として父の政治活動を献身的に支えた。楽天的で、ゆったりとしている反面、芯の強い人だった。どこか、そそっかしいところもあった。愛すべき上州の「おかあさん」だった。あと10年くらいは、ゆっくりと余生を送らせてあげたかった。
質素で飾らない性格だった。自分が治らない病気になったら、不自然に寿命を延ばすのはやめてほしいと言っていた。万一のことがあっても、葬儀はけして大袈裟にしないように、とも話していた。ずっと先のことだと思っていた。
生まれ故郷の草津町の親戚や町の方々に助けられながら、なんとか通夜と葬儀をすませることが出来た。草津町の自宅で行われた通夜には、町内外から大勢の方々がかけつけてくれた。母の意を汲んで出来るだけ小さくすませようとしていた27日の葬儀には、結局、千人以上の方々にご参列いただくこととなった。
このホームページを実質的にオープンし、国政レポートを書き始めたのは、昨年の参議院選挙の少し前だった。選挙中は、膝が悪い母がいても立ってもいられず、息子のために奔走してくれた。すまないことをしたと思う。猛暑の中の苦しい選挙選だった。当時のエッセイを読み返してみる。長い一日が終わって高崎の自宅に戻ると、母と妻が待っていてた。お茶を飲みながら、今日一日の戦果を報告しあった。ネアカの母と妻の笑顔に、どんなに勇気づけられたことだろう。HPの文章を目で追いながら、一瞬、母のあの柔らかい笑顔が心に浮かんだ。
あまり親孝行な息子ではなかった。が、一つだけ良かったと思うことがある。それは母がよく、「学生時代から、いつも楽しそうで生き生きしてるわね。それが一番の親孝行ですよ」と言っていたことだ。ラテン系部分の性格は母から受け継いだ。これからも、自然体で、ハッピーでいることが一番の恩返しだと思っている。
草津の10月は紅葉の美しい季節だ。「草津って、いいところですねえ。」東京から葬儀にかけつけてくれた友人がつぶやいていた。草津の自然は母のイメージに重なる。大好きだった草津の景色の中で、ゆっくり休んでほしい。長い間、本当にありがとうございました。合掌。