現在の政策秘書が、10月いっぱいで辞めることになった。年齢は自分より少し下だが、先代の父の時代から東京の議員会館に勤務している。この世界ではベテランと言っていい。なかなか気のつく、いい秘書だ。自分でいうのも何だが、父親とはかなり違うタイプの政治家であることは間違いない。(実は似ているところもあるのだが、ここではコメントしない。)突然、とんでもないことをやり出す「参議院の異端児?」と思われているそうな。多少の波風はおかまいなしの直滑降スタイル。当然、エラーイ先輩議員には怒られてばかり。おまけに、口利きやオカネ集めは苦手ときている。




 自分のような政治家の下で、さぞかし苦労したことだろう。お互い、相手に求めるものが必ずしも一致していたわけではない。が、自分の足りない部分をうまくサポートしてくれる存在だった。基本的に親切だし、何といっても正直で信頼出来る性格が気に入っていた。特に、昨年の参議院選挙では地元にはりつきで指揮をとってもらった。今考えると、東京で暮らす新婚ホヤホヤの奥さんと赤ちゃんに、どんなに迷惑をかけたことだろう。あー悪かったなあ。改めて言います。本当にありがとう!




 選挙が終わってから、何度か辞意をもらしていた。が、その度に引き止めてきた。理由はシンプル。もっと一緒にやりたかったからだ。何度か話し合った末、新しい道に行きたいという本人の希望を尊重することにした。人生は一度しかない。3つ、条件を出した。これからもいい関係を続けること。新しい仕事を捜す上で力になれることがあったら、遠慮なく言ってくること。たまには事務所にフラリと顔を見せてくれること。政策秘書という肩書きはなくなっても、人間としてのつき合いが終わるわけではない。これからの彼の人生に対して自分が出来ることがあれば、喜んで応援したいと思っている。




 「次のスタッフが見つかるまでは、何とか出勤します」という彼の厚意にいつまでも甘えているわけにはいかない。重い腰を上げ、本格的に新しい秘書を捜しはじめた。先ずは政策秘書試験の最新合格者リストを調べ、直接電話を入れる。さらに様々な人脈を通じ、数名の候補者を紹介してもらった。結局、ここ一ヶ月で8人の候補者と面接をすることになった。インタビューの本拠地は某ホテルの喫茶レストラン。(山本一太に会いたいなら、まずここをあたれと言われている。)それぞれ約一時間、各人から、これまでの経歴や専門分野、政治に対する考え方を聞いた。同時に、自らの政治哲学や政治家としての目的、今後の活動方針等について率直に説明し、議論した。




 うーん、さすがに優秀な人材ばかり。まず驚いたのが、山本事務所に興味を持っている人間が(思った以上に)多く存在するということ。日本人初の2人同時ノーベル賞受賞についての小泉総理のコメントではないが、山本一太もそうそう捨てたもんじゃない。驚いたことに、面接した8人のうち4人が、最初の面接の直後に「ぜひ、一緒にやらせてほしい」というメールを送ってくれた。ちょっと自分という政治家を買いかぶっている感もあるが、すごく嬉しかった。この4人とは(一緒に働けるかどうかは別として)政治を志す同志として、これからもずっとつき合いたいと思っている。むこうが迷惑でなければ、だが。




 これからこのサイトでも正式に公募をかけ、出来れば10月末までに人選を終えたいと考えている。新しいスタッフにとっても、人生の貴重な一部分になる。とりあえず半年くらい事務所に飛び込んでもらい、お互いのケミストリーを見たり、この仕事が彼(彼女)のイメージに合致するかどうか、忙しくてもハッピーな毎日を過ごせるかどうか、山本一太という人間が好きになれるかどうか、を確かめてもらうつもりだ。激動の5年間になるだろう。この時代を一緒に突き抜けてくれる右腕(ライトハンド・マン)を本当に見つけることが出来るだろうか。ちょっとわくわくしている。




追伸:

朝から終日、邑楽郡の町村で遊説&挨拶回りを行った。遊説カーに一緒に乗り込んでくれた地元選出の若手県議が、後援会幹部への挨拶回りをリードしてくれた。渋川市選出のもう一人の若手県議を加えた3人で「文殊の会」というのを作ったことは、以前、このレポートに書いた。10人のふわーっとしたサポーターより、二人の強力な盟友のほうがずっと強力だ。来週、前橋で4回目の文殊をやる。来年の知事選や県議選、県政の流れ等について、二人の大好きなオ二ーチャンと(いつものように)本音をぶつけあいたい。