午前中は「サンデー・プロジェクト」に生出演。終了後、討論コーナーで一緒だった平沢勝栄衆院議員、番組担当プロデューサーと全日空ホテルの喫茶レストランでお茶を飲む。そのまま東京駅から午後12時16分の新幹線に乗り込んだ。ウーロン茶を一杯飲んで、パソコンを開いた。今日は高崎駅ではなく、ひとつ先の上毛高原駅で降りる予定。利根・沼田地域を中心に新盆回りを行う。

 サンプロのテーマは「政治家 田中真紀子の功罪」だった。田中真紀子氏に対する自分自身の見方は常に一貫している。類い稀な発信力と感性を持った政治家であることは間違いない。政治的な勘も人並み外れたものを持っている。しかしながら、外相としての手腕はどうだったかと聞かれれば、真紀子外相の下で外交は機能しなかったと言うしかない。

 別に田中真紀子氏が嫌いなわけでもない。なるべく個人の人格や資質に対する攻撃は避けたかった。が、応援団長?の平沢氏が真紀子氏の功を強調する中で、バランス上、罪の部分(外交の停滞を招いたこと等)を強調せざる得ない雰囲気になってしまった。

 もちろん、真紀子氏には功もある。一番の功績は、時代の要請とも言うべき小泉内閣を誕生させる原動力になったことだ。さらに、真紀子大臣でなければ、ここまで外務省の病巣をえぐり出すことは出来なかっただろう。政治と官僚の不透明な関係も、手つかずのままだったかもしれない。

 外務省改革は、この際(外交力を強化するという観点から)徹底的にやるべきだと思う。その中で、人事や組織にも手をつけなければならないのは当然だ。しかしながら、外相の仕事は組織改革だけではない。真紀子大臣には、日本の国益にかかわる日々の外交活動や交渉に、もっときちんと取り組んで欲しかった。外務大臣としてどういう理念や哲学を持っているのか、何をどういう優先順位で、どんな戦略で成し遂げたいのかということは、残念ながら最後まで伝わって来なかった。(田原総一郎氏は「そんな難しいこといってもわからない」と一蹴していたが...)

 大事なことは、田中真紀子氏の議員辞職や今回の疑惑そのものというより、田中氏の功罪から何を学び、永田町をどう変えていくかということにつきると思う。

 まず、政治とカネの問題については、対症療法ではダメだということが明らかになった。根本的に現在の政治文化を改めていかない限り、必ず同じことが繰り返されるだろう。秘書給与疑惑問題は、多くの政治家にとってけして他人事ではない。一歩間違えれば、同様のトラップに陥っていく政治土壌というもが存在しているからだ。その意味で、民主党若手議員と一緒に立ち上げた政治とカネに関する研究会の意義は大きい。若手の中から自発的に生まれたこの小さな運動を、何としても広げていかねばならない。

 今回の辞職劇で、もう一つ強く感じたこと。それは、番組(サンプロ)の中でも指摘したように、これからの時代の政治家は、年をとっていようが、若かろうが、またイメージがクリーンだろうが、ダーティーだろうが、さらに大臣であろうがなかろうが、自らの政治活動について、きちんと説明出来なければならないということだ。すなわち、政治資金収支も含め、自分の政治活動をより透明にしていこうという姿勢のない政治家は、生き残っていけないという状況が現出するだろう。マスコミの寵児として世論の圧倒的支持を受けていた真紀子氏でさえ、この法則から逃れることは出来なかった。

 討論の中では発言の機会がなかったが、田中真紀子氏のような「既存のシステムを破壊出来る政治家」は必要ない、とはけして考えていない。実際、外務大臣ではなく、石原大臣とペアで行革担当大臣だったら、持ち前の「壊し屋パワー」で構造改革に大いに貢献していたかもしれない。ただし、有権者(国民)には、パフォーマンスやイメージのみにとらわれず、政治家の真の能力や資質というものを、もっと冷静に、厳しい目で見て欲しいと思う。

 それにしても、この間まで真紀子氏を礼讃し、応援演説をしていたのに、人気に陰りが出ると見るや、コロッと態度を変えて批判に回る政治家が与野党にいる。その意味で言うと、一貫してマッキーを応援している中谷元防衛庁長官や河村健夫氏なんかは(ちょっと見方は違うが)いいなあ、と思う。

 世論に迎合して手のひらを返すような政治家は、結局、仲間から信用されない。自分にはそんな器用なこと、出来ないなあ。