本日午後、今期通常国会最後の本会議が行われた。ここで参議院の常任委員会委員長が正式に決定され、一人一人拍手とともに紹介された。ここ数週間、委員長人事に関する派閥間の調整が水面下で続いていた。

 最近数年間の参議院(特に自民党)の人事を調べてみた。国会対策(国対)で汗をかくと、(ごく少数の例外を除き)次の人事で必ず何らかの処遇を受けていることを改めて発見した。この原則に照らすと、現在の一回生の中で最も早く政務官に抜擢されるのは、一緒に国対を経験した今のメンバーということになる。

 この一年間、外交・防衛委員会の理事として、同委員会担当の国会対策副委員長として一生懸命汗をかいてきた。担当した三つの委員会(総務、経済産業、外交防衛)で審議した法案の数は、今国会に提出された全法案の4割を占めた。

 特に問題委員会として悪名の高かった外交・防衛委員会の審議の回数は29回。他の委員会に比べても、ダントツのトップだった。一学期は田中マッキー外相を抱えてハラハラ・ドキドキの毎日、二学期になって川口外相が登場してからも予期せぬトラブルの連続だった。国会開会中はほとんど国会対策委員会の部屋に常駐し、そこから部会や勉強会に通った。

 鴻池—矢野国対は、こうした一人一人の努力をしっかり評価してくれた。1、2か月前に、矢野筆頭副委員長に呼ばれた。「そろそろ委員長人事の話が動く時期だ。これまでよく頑張ってくれた。山ちゃんを外交・防衛委員長に推薦したいと思うが、どうだい? 国対委員長もきっと同じ気持ちだと思うよ。ま、だからといってうまくいくかどうかは、わからないが。」と声をかけてくれた。

 気配りの矢野さんらしいこの言葉は、とても嬉しかった。が、その時は、「ぜひ、お願いします」とは素直に答えられなかった。外交・防衛委員会の現状や頭の中で作りあげた自らの政治スケジュールを考えると、委員長を受けることに迷いがあったからだ。もともとポストには、あまり執着を持っていない。「本当にありがとうございます。でも、外交・防衛委員会はそろそろ卒業させてもらえないかとも思ってました。経済・産業委員会で勉強したい気持ちもあります。引き続き、相談に乗ってください」という返事をしておいた。

 義理と人情の鴻池国対としては、汗をかいた国対副委員長のうち少なくとも二人を常任委員長ポストに送りだしたかったようだ。所属する森派の先輩議員も、相当頑張って山本一太を推してくれたとのこと。ただし交渉してくれたポストは、意外にも外交・防衛委員長ではなく、経済産業委員長だったらしい。

 昨晩行われた最後の調整で、結局、山本委員長は実現しなかった。それでも、鴻池国対の仲間から適材適所で一名の常任委員長(農林水産委員長)が生まれたのは、グッドニュースだった。自分の中にも曖昧な気持ちがあった。今回、委員長にならなかったことは、かえって良かったかもしれない。それでも、外交・防衛委員長に推挙してくれた鴻池委員長と矢野筆頭副委員長、そして同じグループの先輩にはとても感謝している。

 初めての国対副委員長生活は、「国対で頑張ることでいいポストを取る」という点では全く効果を生まなかった。それでも、ポスト以上に貴重な勉強をさせてもらった。このレポートで何度も書いたが、鴻池・矢野コンビの下で「明るく、民主的で、しかしやることはやる」国対を経験出来たことは本当にラッキーだった。何しろ、副委員長が皆、チャーミングな人物ばかりだった。

 国会対策は卒業する。もう、二度と国対副委員長をやることはない、という予感がする。次の一年間は文字どおり閑職だ。ポストはないが、そのかわり、これまで以上の「自由」と「時間」が手に入る。山本一太に時間を与えるのは、孫悟空に筋斗雲を与えるようなもの。本会議場の外で大きく深呼吸をする。よーし、この期間は最大限に活用させてもらおう!やりたいことは山ほどある。

追伸:

その1.

 あまり詳しくは書けないが、一度決まりかけた山本経済産業委員長にクレームをつけた人物がいた。理由は、ライバル関係にある?他の議員とのバランスが取れないということだったらしい??今となってはどーでもいいことだが、これって変な理屈だ。委員長の話はあくまで「国対の汗の原則」から自然に出てきた話だったのだから。

その2.

 昔はそんな時期もあったが、現在の参議院自民党にライバルとして意識している政治家はいない。(尊敬している政治家はいるけど。)別に、自分が他の議員より優れていると考えているわけではない。目指すものが根本的に違うということが分かっているので、誰がどんなポストをやろーがやるまいが、ほとんど気にならないという意味だ。唯一、(競争相手という感じではないが)何をしているか気になる議員がいるとすれば、盟友の世耕弘成氏くらいだろう。能力、センスともに抜群だもの。

その3.

 国対をやってひとついい事をしたとすれば、それは国対副委員長のスタイル(これまでのプロトタイプ)を変えたことだと自負している。国対というと、水面下で汗をかく縁の下の力持ち、時間を拘束される嫌な仕事というイメージがつきまとう。(鴻池国対は違ったが。)この一年間、見えないところでしっかりと汗をかいてきたつもりだ。国会対策の部屋に陣取って、夜遅くまで与野党の調整に飛び回った。

 しかしながら同時に、政局で動き、様々な勉強会を立ち上げ、セミナーを主催し、論文を書き、そしてTVやラジオにも出演した。毎週のように、地元の街頭演説にも立った。不思議なもので、人間というものは時間を拘束されればされるほど、かえって集中力が高まり、いろんなことが出来る。自分の活動は、これから参議院のスターになっていく新世代の一回生達(愛知二郎氏、小林温氏、野上孝太郎氏、有村治子氏等)に、いい前例を残すことになると信じている。