午後2時40分。厚生・労働委員会で与党の強行採決が行われた。国会対策委員会で練った作戦どおりに、委員長の後ろをカバーするポジションを取った。自民党理事による採決の動議が出されるや否や、委員会は大混乱。プロレスラーでもある大仁田厚参院議員の活躍(委員長に手を出すなーと叫びながら、委員長席を死守)もあって、なんとか法案を通過させることが出来た。強行採決につきもののこうした乱闘寸前の小競り合いも、国会議員(特に国対)の仕事?の一部になっている。




 先ほどTVニュースの映像を見た。仕方がなかったとはいえ、胸を張れるような慣習ではないな。これは。国民の目にはどう映るだろうか。「あなたのような暴力議員は即刻、議員を辞めてほしい」という一通のメールは、しっかり胸にとめておこう。とにかく、怪我人がでなくて良かった。




 夜6時過ぎ。虎の門パストラルで行われた恒例の「ふるさと高崎を語る会」に顔を出す。高崎出身の現役の中央官僚やOBが主なメンバー。高崎市長や市会議長の挨拶に続き、地元選出の5名の衆参国会議員がスピーチした。今晩は夜9時過ぎまで、国会対策委員長から待機がかかっている。寝不足でちょっと頭が痛い。




 先日の晩、都内の某料理屋で行われた会合で官僚出身のベテラン議員が面白いことを言っていた。「最近は、TVに出てカッコよくしゃべる政治家ばかりがちやほやされる。皆、勘違いしているんじゃないか。たとえば、歌舞伎の尾上松禄とタレントの明石家さんまを比べたら、どちらの芸に価値があるか、どっちが人間として質が高いかは、一目瞭然だ。それでも、万一、二人が選挙をやれば必ずさんまに票が入るだろう。全く、嘆かわしい!」そういえば、過日も某若手議員が、「マスコミに出ないと、仕事をしていないように思われる。地元の会合で間違った認識だといつも説明している。」という主旨のことを言っていた。




 さんまと松緑の話は核心を突いている部分もある。が、この分析は基本的に間違っていると思う。どちらが人間として素晴らしいかについてはいろんな見方があると思うが、新しい時代の政治家は、「松緑のように本物で、さんまのように魅力的である」ことが求められるからだ。いくら仕事?が出来ても(利権誘導や口利きが政治家の本来の仕事だとは思わないが)、自分のやってきたことを有権者にきちんとアピール出来ない議員には、政治家としての重要な資質(コミュニケーション能力)が決定的に欠如している。きつい言い方だが、それは性格やセンスの問題ではなく、一人一人の有権者に語りかける努力を怠っているということに他ならない。




 露出するということには、常にリスクが伴う。それを分かった上で、諸刃の剣であるマスコミ(特にTVメディア)と一定の距離感を保ちながら、時にはせめぎあい、時には活用する。一億総評論家と言われる時代。メディアを通じた発信力が、政治リーダーに不可欠な条件になっていることは疑いのない事実だ。それがいいことかどうかは別の問題としても。




 残念ながら、自分自身が政治家としてこの領域に達しているとは、到底思っていない。それでも、松緑のような実力と品格、さんまのような大衆を魅了するセンスを兼ね備えた政治家を目指したい。ずいぶん前にこのレポートでも書いた覚えがある。21世紀の政治家は「輝く多面体」でなければならない、と。