午前7時30分から、某ホテルで来日中のマハティール・マレーシア首相と自民党議員(日本—マレーシア議員連盟)の懇談会が行われた。議員連盟の事務局長として司会を務めることになっていたが、15分、遅刻するという大罪?を犯す。




 午前中、10時から行われる外交防衛委員会に衆議院(有事法制特別委員会)から外務大臣を引っ張ってこれるかどうか、ギリギリまで分からない状況だった。この問題で頭は一杯。「まだですか!」という秘書の緊張した声を電話で聞くまで、この会合のことは、全く頭から消えていた。




 日本—マレーシア議連の会合に遅れたのは、実はこれで3回目。はっきり言って、「弁解の余地なし」だ。他にも事務局を務める議連や勉強会はいっぱいあるが、こんなトラブルはほとんどない。そう言えば、前回の懇談会の時も、国対(委員会の件)で朝からもめまくっていた。まるで、何かに呪われているような気さえする。マレーシアとは、前世で何かあったのだろうか?




 前回に引き続き、その場にいた河野太郎代議士が代わって司会を務めてくれた。(英語を交えた名司会だった。)政務に復帰したばかりなのに...太郎ちゃん、迷惑かけてゴメン!かなり強引に出席をお願いした参議院の先輩、同僚の皆さん、失礼いたしました。悪いことに、議員連盟の会長である平沼経済産業大臣、そしてマレーシア友好協会の会長でもある塩川財務大臣の二人の主要大臣が、閣議前の忙しい時間を縫って、早めに到着していた。(ひえー!)




 「平沼会長、怒ってたよ!」と太郎氏。閣議のために途中退席する際も、相当、ムッとした表情をされていたが、あたり前だ。杉浦外務副大臣(議員連盟の幹事長)から頼まれて引き受けた事務局長だったが、マレーシアには友人も多いし、平沼大臣(会長)と杉浦副大臣(幹事長)のサポートということで、とてもいいチャンスを与えていただいたと思っていた。けして、議連の活動を軽んじているわけではない。




 それでも、3回続いて不祥事?を起こしては、責任を取らざる得ないだろう。議員連盟の役職を辞任するというのもあまり聞いたことはないが、近く、辞表をもってお二人の部屋を訪ねようと考えている。後任は、河野太郎氏か、有村治子氏あたりがいいと思うのだが...。そこは、上がきちんと判断してくれるだろう。もちろん、議連はやめない。今後もメンバーの一人として、お手伝いさせていただこうと思っている。




 さて、二人の大臣が席を立った後も、意見交換は続く。マハティール首相に一つ質問をぶつけた。「小泉首相の外交政策について、また小泉改革についてどう思うか?」首相はにやりとしながら、「小泉総理の外交政策については、東南アジアの国として大変満足している。小泉改革については、これは我々ではなく、日本の国民が評価すべきものだろう。ただ、あまりに急激な改革は痛みを伴うと思う。それと、日本の総理は短期間で変わってしまう傾向があるが、小泉改革の評価にはある程度の時間がかかると思う。何年間か、時間をかけて見ないと分からないのでは。」と答えていた。さすがは、アジアを代表する政治リーダーの一人。経済、外交、教育問題にいたるまで、一つ一つのコメントに深みを感じた。




 午前10時から12時30分まで外交防衛委員会。その後、参議院執行部会議や国会対策委員長・副委員長会議に出席、国連機関幹部との会合や国家戦略本部の会合をこなすと、あっという間に夕方になっていた。午後6時過ぎから、岩屋毅衆院議員のパーティーへ。防衛政務次官を務めたこともある若手の岩屋代議士は、二回の落選を乗り越え、7年間の浪人生活を経て国会に復帰した「強固な意志」の持ち主。「新党さきがけ」に加わって、自民党を飛び出した経歴もある。これまで同じ選挙区で二回戦ったことがない、というくらい選挙制度の改正に泣かされてきた。次の選挙も違う選挙区で立つことになるらしい。「私は政界ホームレスと呼ばれてまして...」なんて苦笑いしていたが、大変だろうなあ。外務省改革小委員会でチームを組んだが、自分の哲学というものを持った「胆力のある」政治家だ。岩屋さん、これからも改革への情熱を失わずに、頑張って下さい!




 午後7時から、外務省、国連機関関係者との会食。日本のODA(政府開発援助)の方向性について議論を交わす。夜10時過ぎから、友人のジャーナリストと情報交換をやる。昨晩に引き続き、アルコールに(ちょっとだけ)つきあったが、ワイン二口で、頭がボーッとなった。韓国の政治家でなくて良かった。さあ、熱い紅茶を飲んで寝ることにしよう。