昨晩、ソウルから帰国。久々に韓国若手国会議員との再会を果たす。韓国出張の成果については次回のレポートで改めて報告したい。いろいろな意味でとても中身の濃い5日間だった。




 それにしても、米国の同時多発テロが起こらなかったら16日からニューヨークとワシントンDCを訪問する予定だった。(一緒に韓国に出かけた河野太郎議員なんてテロ事件の次の日に米国に発つはずだった。)ここ数年、「国連総会」の行われるこの時期に米国を訪れることにしている。昨年は森総理の「勝手補佐官」として「ミレ二ウム国連総会」に参加。また一昨年も小渕総理の総会演説に合わせてニューヨークを訪れた。マンハッタンではユニセフ議連のメンバーとして国連総会(「子供サミット」)に出席し、個人的な人脈を生かして主要国の国連大使や国連機関の長に会うと同時に、数名の経済人やエコノミストにも話を聞きたいと考えていた。(実際、ウォールストリートの周辺もあちこちスラロームする予定だった!)ワシントンDCでは外務政務次官時代に作ったネットワーク(国防総省のスタッフも含め)を再構築することが目的だった。もし、米国行きが一週間前だったら、巻き込まれていた可能性も。数千人の犠牲者、そしてその家族の方々に、心からの弔意を表したい。無関係の市民を巻き込んだ史上最悪の「テロリズム」。こんなこと断じて許せない。




 さて、韓国出張の疲れも多少残っている本日は調整日。朝から東京で(久し振りに)妻と過ごす。青山三丁目付近で一緒に昼食を取り、午後からそれぞれたまっていた仕事を片付ける。夜は渋谷でこれも久々のデート。二人で映画(一年ぶり?)「ブリジット・ジョーンズの日記」を観た。原作は、世界中の女性を魅了したヘレン・フィールディングのベストセラー。理想の恋人を探す30代の独身女性(ドジで大雑把。でも、人がよくて、等身大で、とてもチャーミングなキャラクター)を演じたレニー・ゼルウィガーの演技は出色。脚本もいい。笑われるかもしれないが、学生時代ずっと「シナリオライターになりたい」と密かに思っていた。ミュージシャンになる夢は(もちろん、アマチュアですが)4枚のCD発表と日本音楽著作権協会登録の作詞・作曲家になったことで半分実現したけど…。劇場公開されるや否や、イギリスとアメリカで同時に大ヒットを記録したのもうなずける。とてもイカした映画だった。映画の後、近くのとても気さくなレストラン(ベトナム料理の店)にフラリと入り、春巻きと鶏肉炒めとフォー・ボー(ベトナム風きしめん)を注文。次はいつ二人でこんな時間を過ごせるだろうか、などと考えながらベトナム・コーヒーを飲んだ。




 ところで、ソウル出張中に東京の秘書から携帯に電話が入った。参議院の某幹部が至急連絡を取りたいとのこと。ちょうど市内でジャーナリストと懇談中だったが、その場で電話を入れたところ、「国会対策副委員長をやってもらうことに決まったので、よろしく」という話だった。(「悪い予感」は的中するもんだ。)正直言って、困惑した。大体、人事リストを提出したはずの所属派閥から何も聞いていない。寝耳に水の話。政治家は普通のサラリーマンではない。それぞれ「選挙」を勝ち抜いた地域の代表。政局の中で「昨日の友」が「今日の敵」になることだってある。これまで、こういう人事の話は(形式上はともかく)必ず事前に打診があった。参院自民党所属の国会議員(新人議員)は、当選後一年間は全員、自動的に国会対策委員会のメンバーに登録されることになっている。その時期を除き、「国対」の経験は皆無。こういう人事はあり得ない、と(迂闊にも)勝手に思い込んでいた。(こうした油断も、ポスト選挙症候群の一部だったかもしれない。)「国会対策」が重要な仕事であることは間違いない。各会派の意向を調整するために水面下で汗をかくいわゆる「国対」の努力があってはじめて委員会や国会が運営出来る。参議院では「出世の登竜門」でもある国対畑のプロとして活躍してきた政治家の中でも、たとえば片山総務相のように「政策通」の政治家もいる。実際、現在の国会対策委員長は合理性と義理人情を兼ね備えた魅力的な人物。若手にも信望が厚い。




 それでも、困った。まず第一に、「国会対策」は時間を拘束される。数日後に始まる今国会は相当荒れそうだ。平日に地元に帰れないことは仕方がないとしても、いつ召集がかかるかわからない状況の中ではあらかじめ「日程」を組むことが難しい。今回の選挙を通じ県内各地で再編、強化された「後援会」のフォローアップもままならない。すでに、この一年間の大まかな学習・活動スケジュールを決め、定期のセミナーや講演、勉強会、種々の「悪巧み」もしっかり組み込んでしまった。すべてこの6年の間に準備し、種を蒔き、育ててきたプロジェクトばかり。小泉内閣の「改革工程表」ではないが、ロードマップはしっかり頭の中に描かれている。これを変更するだけでも大変な「労力」。「とにかく一年間のことなんだから。」「グループ(派閥)の皆がそれぞれの分野を経験して公平に汗をかくのが原則だ。」と言われても、一度も(直接)国対に関わっていない同期生もいる。日本が凋落するかどうかという正念場。激動の時期。自分の政治生命だって6年で終わりかもしれない。大袈裟でなく、「この一年がすべて」だと考えている。そう思いながら、あの苦しい選挙戦を勝ち抜いた。政治家は、「国益のため、地域益のため、自分に一体どういう貢献が出来るか」「自分にしか出来ないことは何か」を真剣に考え、それにしたがって自らキャリアパスを創っていくべきだと思う。何度も言うが、普通の会社員とは違う。「平等に汗をかく」といった「結果平等」みたいな考え方があるとすれば、それは根本的に間違ってる。執行部に迷惑はかけたくないが、様々なことが頭をよぎり、素直に「ハイ、わかりました」という返事は、どうしても出来なかった。すでに約束してしまったセミナーや講演をどうやってキャンセルしよう。党の国家戦略プロジェクトチームの集まりや幹事の一人になっている行革チームの会議、欠かさず出席しようと決意していた金融・経済分野の会合にも出られないだろうなあ。10月にやってくる韓国の若手訪日議員団(ハンナラ党)の受け入れ準備、ちゃんと出来るだろうか。




 「これって、誰かの陰謀じゃないか」などとブツブツ言っていると、妻がポロっと言った。「今回の件は、あなた自身が招いたこと。誰のせいでもないんじゃない。」「え、なんで?」「だって、本当に国対以外のことをやりたかったら、それを上の人にきちんと説明するチャンスはいくらでもあったわけだし、根回しだって出来たはず。いい先輩もいるって言ってたじゃない。それを怠ったのは自分自身の戦略的ミステークでしょう。」ハイ、その通りです。さらに、(思ったことをそのまま言う)奥さんの指摘は続く。「時間がないからそれだけ真剣に時間を生かそうというインセンティブが働くんじゃないかな。あなたってもともとラテン系で、ゆっくりおぼっちゃま的なところがあるから。勉強したかったら、国対の部屋に資料を持ち込んで読めばいい。論文だってパソコン持ちこんでそこで書けばいいじゃない。」うーん。そりゃあそうだけど、そんな簡単にはいかないよなあ、と思っていると、さらに奥さんの言葉は続く。「やる気さえあれば出来るわよ。選挙の時だって怒りをエネルギーに変えたじゃない。外務政務次官の時だって(出張記録を更新しながら)必死で時間作って曲を書いてたじゃない。」まあ、そういうこともあったなあ。最後に「政治家は知恵と行動力があればどんな場所にいても存在感を示せるって普段言ってるんだから。ブツブツ言ってないで、とにかく頑張ってみたら…」ハイ、全くその通りです。




 早急に、半年間の「学習・活動」プログラムは見直す必要がある。いくつかのプロジェクトについては(ネット総裁選挙の時のように)「支援グループ」を立ち上げることにした。正直言って「納得のいかない」部分もあるが、とりあえずベストを尽くすことにしよう。その中で考え、ひとつひとつ「決断」していけばいい。(世耕さん、いいアドバイスありがとう!)6年間、じっと我慢しながら暖めてきた計画がある。睡眠時間を削ってでも会いたい人がいる。一分一秒だって無駄に過ごしたくない。これから一年間の「身柄拘束」(?)の中で、自分のスタイルを失わず、「発信」を続けることが果たして出来るだろうか。




 今回の参議院の人事(政務官・副大臣)は、実質的に「派閥」によって決められた。小泉総理、「一内閣一大臣」の原則だけはぜひ貫いてください!そこが崩れてしまうようだと、小泉改革がもたらした「派閥のメルトダウン」現象は逆行することになります。小泉首相は「派閥政治からの脱却」を新しい自民党改革の旗印として掲げた。その小泉改革を支持すると訴えて参議院選挙を戦い、有権者の支持を得た。相変わらず「派閥はこれからは純粋な政策集団になるから」とかいう言い訳をしながら、地元の事情や人間関係に縛られ、結局「派閥」の枠の中で右往左往している自分はなんと情けない政治家だろう。いつまでも、こんなままでいいはずがない。