-ポスト選挙シンドローム-




 気がつけば、選挙戦からすでに20日あまりが経過。「この選挙を勝ち抜いてはじめて、政治家として本当にやりたいことが出来る…。」そのことを毎日自分に言い聞かせながら、酷暑の17日間を戦い抜いた。




 外交、経済、政治改革等々…やりたいプロジェクトは山ほどある。それにもかかわらず、投票日の翌日から「全力疾走」するはずだった「一太号」のエンジンの出力が一向にあがらない。




 「緊張の糸が切れたっていうか…一週間経って急に疲れが出てきたよな。」選挙後に召集された4日間の臨時国会で久々に会った同僚達も一様にそうつぶやいていた。新しい選挙制度の下、全国を飛び回った比例区の仲間たちも「疲労困憊」の様子。「ポスト選挙症候群」から立ち直っていないのは自分だけではないらしい。




 「政治とはすなわち人間観察だ!」と言ったベテラン議員がいたが、まさしくその通りだと思う。特に選挙は「人間社会の縮図」そのもの。選挙という極限状況?の中ではじめて、自分の周辺にいる人々の人間性、自分に対する周りの評価や相手の感情、思い入れの度合いが分かる。




 それにしても、世の中ってうまく出来ている、とつくづく思う。「光あるところに影がある」のは当然のこととはいえ、いろんなことに、ちゃんとバランスが取れている。映画「スターウォーズ」ではないが、ダースベイダーの「闇の力」には「正義の力」が対抗することになっている。




 なにも政治の世界に限ったことではないだろうが、「捨てる神あれば拾う神あり」とはよく言ったもの。「悪意」と「嫉妬心」と「悪知恵」の塊のような人間に追い詰められそうになると、「善意」や「寛容」、「叡智」を兼ね備えた存在がしっかり支えてくれる。




 いわゆる政治ブローカーや「選挙太り」するミニ政商みたいな人物が暗躍するかと思うと、誰に宣伝するでもなく、コツコツと後援会の入会申込書を集め、地元の町村を歩いてくれる支持者がいる。




 人間の優しさや誠実さ、狡猾さや偏狭さ、強さと弱さ…。そうしたすべてを凝縮したヒューマン・ジュースを「一気飲み」したような気分。「選挙とはそういうもの」と分かっているつもりだったが、ここまでドロドロした面を見せつけられては、ある種の胸焼けが残ったのも仕方のないことだろう。だからと言って、「人間不信」や「人間嫌い」にはけしてなれません。なんやかんや言っても、人間ほどチャーミングで面白いものはない。




 それにしても、逆境に追い込まれると周りの景色が良く見える。人間(政治家)の本質は外から見ただけではホント分からない。「オレの目は節穴じゃない!」なんて思っていたが、人間観察については、ほとんど「節穴」だった。




 選挙戦(真剣勝負)は実は一年前から始まっていた。もう一人の自民党候補者擁立のための様々な策謀、事務所内のトラブル、組織の弱体化、資金の不足、執拗な中傷やネガティブキャンペーン等々…。文字通り「臥薪嘗胆」の毎日だった。トップ当選という結果からは想像も出来ないような「苦しい日々」が続いた。いろんな問題や障害を一つ一つクリアーしながら、やっと選挙戦まで辿り着いた。こうした状況の中で、我ながら「よくぞ生き残った」というのが正直な気持ちだ。




 政治はもともと「権力闘争」。自分を批判したり、引き摺り下ろそうとする勢力があって当然だし、それについて個人的な恨みは一切抱いていない。(当たり前のことだけど…。)実際、そういう動きがあったからこそ、「負けてたまるか!」という強烈なモチベーションを持続出来た。むしろ感謝しなければならない。この6年間、政治家山本一太が戦ってきた相手は「政敵」ではなく、「古い政治手法」や「選挙というものに対する旧来の考え方」だったと思っている。




 保守王国と呼ばれる群馬県地方区は、自民党が二人の候補者を擁立、公認した数少ない「注目の選挙区」だった。今回の参議院選挙には、今後の政治や選挙のあり方について考えるためのヒントがふんだんに盛り込まれている。この選挙を戦った「当事者」として、改めて冷静な目でこのプロセスを検証することは、これからの群馬県政界の未来を占う意味でも、将来の政治活動を考える上でも、大いなる意義があると思う。同時にそれは、「小泉旋風選挙」に参加した有権者の方々の意識を変える一助になるかもしれない。




 「今だから話せる参院選挙」シリーズ、これからゆっくりしたペースで連載していく予定。なかなか文字にしにくい部分もあるが、出来るだけ本音で発信したいと考えている。読者の皆さんからのご意見、感想メール、お待ちしています。