妻が居なくなって三週間が経った

 

記憶が薄れてしまわないうちに

妻が息を引き取る前の、二日間のことを

書いておこうと思う

 

痛み止め持続皮下注射の為

1日だけの入院から帰宅したのが

6月22日の朝

 

その日中、うっすら、まどろんでいた様子は

ブログにも書いた

 

でも、じつは、その夜中ぐらいから

妻は痛みを訴えていた

 

お腹に入っている注射から常に

痛み止めは注入されていた

 

でも、痛みが増したときは、手元のボタンを

押せば薬が、追加注入される

 

ただし、15分以上の間隔を空けて

 

(仮に15分以内に押しても、注入されない仕組みになっている)

 

翌日も、日中はマシだったけれど

夜になると、痛みが増すようで

僕はタイマーを合わせて

15分置きにボタンを押した

 

その二日間、妻は寝室のベッドで、

僕と娘(7歳)は、同じ部屋の床で寝た

 

結局、帰宅してから、丸二日後の早朝、

妻は息を引き取ったんだけど

その瞬間を、僕は知らない

 

タイマーが鳴ると、ボタンを押して

妻に声をかけて、触れる、そして寝落ち…

 

を、繰り返していた僕は

 

最後の、そのときも

タイマーで、ハッと起きて

妻に触れたんだけど

 

すぐに、死んでしまっていることがわかった

 

もちろん、まだ、ぜんぜん体温も

残っていたんだけど、すぐにわかった

 

5時ぐらいだったので、娘は眠っていた

 

でも、じつは、そのあたりから

僕の記憶は、曖昧になっている

 

たしか…眠っている娘を抱っこして

別の部屋に、連れていった…と思う…

 

はっきり憶えていない…

 

それが二日間、寝ていなかったせいなのか…

 

それとも、本能的に忘れようとしているのか…

 

とにかく、ほんとうによく憶えていない。。

 

でも、そのあと

訪問医に連絡したのは間違いなくて

6時台には臨終確認に、来てくれている

 

娘が起きてきたのが、8時なのか、9時なのか、

そのあたりも、ぜんぜん憶えていない

 

「ママは?」

 

と、娘は聞いたような気がする

 

「死」を、直接的な言葉で伝えたのか

少しは、気の利いた言い回しができたのかも

憶えていない

 

ただ、娘が、泣き崩れたり、

激しく動揺したりも、しなかったのは間違いない

 

それから…二人で…どうしたっけな…

 

 

僕がこのブログを書いているのには

いくつか理由があるのだけど…

 

ひとつは、記録のためでもある

 

娘(7歳)が成長したとき、

このブログを読んで欲しい、と思う

(本人が望めばだけど)

 

そして、母の人間性みたいなものや

当時の自分自身のことを

少しでも知ってほしいと思う

 

だから、将来の娘が

今回の記事を読んでいたら、ごめんm(__)m

 

もう少し、早く書けば良かったんだけど…

 

パパ、鮮明に憶えていない(忘れたい?)

ところが多いな。。

 

でも、これだけは、はっきり言える

 

たしかに、ママの最後は

 

”痛まず、苦しまず”

 

って、わけにはいかなかった

 

でも、

その痛がり方でさえ、最後まで穏やかだった

 

その証拠に、きみの記憶に

ママが痛がったり、苦しんでいる

姿は残っていないと思う

 

たしかに、入退院を繰り返し、

寂しい思いはさせたかもしれない

 

でも、この二日間どころか、

二年間に及ぶ、闘病生活でさえ、

ママは、きみに、

 

たとえば、トラウマになるような、、、

 

たとえば、思い出したくないツラい記憶、、、

 

みたいなものを、残していないんじゃないかな。。

 

ママは、息を引き取るほんの4日前まで

学校に行く前、

朝ごはんを食べるきみの髪の毛を

編み込んでたよ

 

過去にも何度も書いたけれど

 

きみのママは

 

世界で一番、優しくて穏やかな人だよ

 

 

 

※感謝の気持ち、ずっと、書くの忘れてました

 

”いいね”やコメント

 

それも、このブログを続ける原動力のひとつです

 

いつからかな…僕はコメントに返信はしてません

(返事を考えるのにすごく時間が掛かってしまうのでタラー

 

でも、もちろん、すべて読み、力をもらってます!

 

感謝です!

 

また、弱音とか、娘のこととか、聞いてください。。