妻が居なくなって、2週間が過ぎた

 

葬儀の日を最後に、僕は泣いていない

 

…と、思う

 

ぼーっとする時間は多いし、涙が溜まることは

あるけれど、それをボロボロ流してはいない

 

僕の日常

 

食欲─少し戻ってきた、、

少しだけなので、痩せたぶんが戻らないけれど。。

 

睡眠─深く眠れない、何度も目が覚める

 

洗濯─できる、むしろ好きかも。。

 

掃除─つい先日まで、掃除機がかけれなかった。。

妻の髪の毛をぜんぶ吸い取ってしまうと思うと

どうしても、かけれなかった

 

片付けられる物と、片付けられない物がある

 

目に付くとツラくなる物は、片付けたり

業者に引き取りに来てもらった

 

逆に、妻のリュックや化粧ポーチは

最後に退院して、帰宅した日のまま…

フローリングに、そのまま置いてある

 

妻に触れたい

 

2週間前の今頃は

もう動かなくて、冷たい妻だったけれど

触れることができた

 

火葬場で、骨だけになってしまった妻と

対面したとき、もう、この世のどこにも

妻の体が無いのだと思うと

吐きそうになった

 

冷たくて、動かない妻でもいいから触れたい

 

いや…やっぱり生きている妻に、会いたい

 

 

娘(7歳)のこと

 

娘も葬儀の日以降、一度も泣いていない

 

それどころか、葬儀から1週間ぐらいは

ママのことを、一切、口にしなかった

 

ふつうに明るくて、ママの「死」について

良くも悪くも、ピンと来ていないようだった

 

でも、いつだったか

妻の入院中のこと(ブログにも書いたと思う)

 

たぶん、1週間以上の入院だったと思う

 

そのときも、娘は、ママが居ない寂しさを

一度も口にしなかった

 

ふつうに明るくて

ママが入退院を繰り返すうちに

こんな生活にも慣れてきたのかな。。

 

と、思った僕は、お風呂で何気なく

 

「ママ、いま、なにしてるかな?」

 

と、言った

 

すると、娘は、ボロボロと泣き出した

 

「一生懸命がまんしてるから、ママのことを思い出させないで」

 

と言って、ボロボロ泣き続けた。。

 

その時と同じように

自分なりに処理しようとしているのか…

 

と、思っていたら、最近になって

ママのことを口にするようになった

 

「ママに会いたい」

 

とか

 

「もっと、ギューしとけばよかった」

 

とか。。

 

でも、泣きはしない。。。

 

ママが居なくなった現実を、受け入れようとして

でも「死」という概念を、うまく理解できない

 

そういう、微妙な年齢なのかもしれない、7歳って。。

 

ただ、漠然と、一人っきりになってしまうことを

恐れている節はある

 

自分の家族は、パパ1人だけだということ

 

パパが居なくなってしまうと

自分は頼れる人を、すべて失ってしまうこと

 

感覚的にそれを想像して

怖がっていることは、よくわかる

 

「パパはぜったいに居なくならない?」

 

と、よく聞いてくる

 

「ギューして」

 

も、増えた

 

もうね、、

僕にできることは、もう、ほんとうに

愛してあげることだけ

 

ママが居ない日常を生きていく娘が、

「ママの死」を理解し、受け入れ、

また、受け入れられない時は、そのサインを

見逃さないように

 

「パパはぜったいに居なくならないよ」

 

と、言ってあげる

 

ちゃんと、声に出して、言ってあげる

 

「ギューして」

 

と、言ってくれるうちは、必ず応えてあげる

 

と、えらそうに、長々と書いているけれど

僕は、ぜんぜん強い父ではない

 

娘に助けられることもしばしば。。

 

笑わせてもらうことも僕の方が多い

 

洗濯物をたたむのも手伝ってくれる

 

妻が居ないから、日用品の在庫切れは

お互いに気付いた方が、メモしておく

 

今日も、2人で

 

ブォディーソープ

 

を、買いに行くほっこり