ボクの居場所 -7ページ目

ボクの居場所

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「奇跡ってあるのかなぁ
イチロウは、職場である施設の食堂でポツンと呟いた。



そこには、入所している老人が10人ほどいた。
みな、昼食が終わった午後のひと時を、椅子に座りながらウトウトと過ごしている。

「イチロウちゃん、何か言ったかい?」
テーブルをはさんで向かい側にいるおばあちゃんが、イチロウの顔を覗き込むように聞いた。

「え?!いやぁ、何でもないよ(笑)。
芳江おばあちゃん、ゴメンね。起こしちゃったかなぁ?」

そんなイチロウの言葉など全く聞かず、芳江は両隣のおばあちゃんの体を揺さぶる。

「ちょっと、ちょっと、和子さん!智恵さん!」

「うぅ?!」
両脇の二人が起こされる。

芳江、和子、智恵
この三人のおばあちゃんはいつも一緒にいる。

三人ともイチロウがお気に入りのようだ。

芳江おばあちゃんは、三人の中で一番元気がある。
元気があるといっても、口であるが
体は不自由だが、口と頭の回転が速い。

三人のリーダー的存在だ。


和子おばあちゃんは、おっとりしている。
元々京都に住んでいたが、旦那さんが亡くなり、ひとりになってしまった。
東京で居を構えていた子供が心配し、京都から連れてきたのだ。
3年前に脳梗塞で倒れ足が利かなくなり、1年前からここにお世話になっている。
品のいいおばあちゃんだ。

そして、智恵おばあちゃん

一番長く入所している。

どういうことがあってここにいるのか、誰も知らない。
耳は聞こえているようだが、反応がない。話もできない。
他の二人のおばあちゃんの話を、傍らでただ無表情に聞いている。
芳江おばあちゃんが可哀想だと思ったのか、必ず仲間に入れている。
何か放っておけないんだろう。

イチロウも毎日声を掛けている。
イチロウの場合は、智恵おばあちゃんの何か神秘的な雰囲気が気に掛かっている。
毎日率先して車椅子を押し、反応がないのに長い時間話し続けることもある。

「イチロウちゃん、おかしいんだよ!」
状況が段々と分かってきたのか、和子は芳江と一緒にイチロウのほうを向く。
智恵だけは、最初から前を向いているのだが

「わたしも、最近おかしいと思ってたんですよ。

何かポカーンとして
お体、どこか悪いんですかねぇ。」

和子はイチロウに聞かれないように話しているつもりだったが、普段から耳の遠い者どおしで話しているので声が大きい。
その言葉はイチロウの耳にしっかりと届いている。

「なんでもないよ(笑)。」
力のない言葉がイチロウから返ってくる。

「なんでもないこたぁーないだろ。
今までギャーギャー子供みたいに騒いでた男が、急に静かになるもんか。」
芳江が捲し立てる。

「ぎゃーぎゃーって
俺も大人なんだからこんな時もあるよ(笑)。」


「体は大丈夫みたいですね、良かった
お偉いさんから叱られたぐらいじゃ響かないお人だから

うーん、何なんですかね~。」

和子が続く

何となくその場に居づらくなったイチロウは、さっと立ち上がり、智恵の車椅子をつかんだ。

「智恵おばあちゃん、部屋に帰ってオシメ換えてもらおうね。」
そう言うと、無理やり智恵の車椅子を押してしまった。

食堂を出て、部屋までの廊下
車椅子をゆっくりと押しながら、イチロウはいつものように智恵に語りかける。


「おばあちゃん
俺やっぱ変かなぁ~?

………
実は俺、恋してるんだよ
おばあちゃんにだけ話すね(笑)。」

イチロウは、彼女との出会い、彼女とのデート、デートで話したこと、彼女の目が不自由なこと、そして何より真剣に彼女が好きだということを話し続けた。

「俺、どうしていいのか分からないんだ。
苦しくって、苦しくって
そして情けなくって、情けなくって
やっぱり俺じゃだめなんだな。彼女を幸せにはできないよな。だめな男だから(笑)。」
部屋に着き、ベッドに移すため智恵を抱きかかえながら吐き出すように言った。


「うん、これで良しとっ。じゃぁ、おばあちゃん。オシメのお姉さん呼ぶからね(笑)。」
そう言って智恵おばあちゃんの手を握りながら、頭の上にあるナースコールのボタンを押そうとした時


奇跡が起こった



それからのイチロウには、密かな毎日の楽しみができた。
当然のことなのだろうが…



朝、仕事に行く時
アパートを出るとそこで立ち止まる。

先ず、遠目から店の小窓にユキエの姿があるか確認する。

大抵そこにはユキエが座っていた。
目が不自由なユキエが一日中そこに座っていることはないのだから、ユキエも意識してイチロウの来そうな時間に座っているんだろう。

ユキエを確認したイチロウは、アパート沿いに小窓の正面まで移動する。
ユキエが正面にくるように
大抵は横顔が多いのだが、稀に正面を向いていることがある。

そこから息を殺してゆっくりと小窓に近づいてゆく。
段々とユキエの顔が近づいてくる。
その時イチロウは、決して瞬きはしない。

1メートル手前で立ち止まる。
ユキエも止まる。
立ち止まっている時間はほんの数秒なのだろうが、イチロウには数分にも数時間にも感じているようだ。
その澄んだ目をジッと見ている。

「ユキちゃん、おはよう!」
ここでやっと、声をかける。


顔をパッと明るくし、笑みを含んだユキエの声が応える。

「おはよう!お仕事ですか?」

「うん、おばあちゃん達とお話しにね(笑)。」


「頑張ってね(笑)。」
ただそれだけのことなのだが

一度こんなことがあった。
いつものようにユキエを確認したイチロウが、1メール手前で立ち止まってユキエを見ていると、その背後から『イヤな』視線を感じた。
おばちゃんだった。


そこで立ち止まるまでのイチロウの行動の一部始終を見ていたのだろう。
ユキエしか見ていないイチロウは気づくはずもない。

「ホント、バカだねぇ~。バカな男だ。」
半ば呆れ口調で、家の奥に入っていくおばちゃんに言い訳をすることもできず、間抜けなイチロウが立ち尽くす

仕事休みの日は、朝から慌しい。
ユキエを誘いデートをするためだ。

一応「この辺りの案内」という名目だが、イチロウ的にはあくまでも「デート」である。

一度や二度なら「行ってらっしゃい」と言っていたおばちゃんだったが、回数を重ねるにつれ、あまり良い顔をしないようになった。
毎朝のイチロウの行動も知っているからだろう。

もちろんユキエには断られたことはない。
でも一応おばちゃんに了解を得る必要がある。

『うーん、今日はどう切り出そうか。うーん、うーん
もちろんいい考えなんか思い浮かぶはずもない。
結局は、おばちゃんに「バカだねぇ~。」と言われながら店を後にするのだが


異性を好きになった男は、その後どうするのだろうか

『彼女のために何かしたい。』という想いがつのる。
と、同時に『自分は彼女のために何ができるのだろうか?』と自問するだろう。

そして
何もできない自分に苦しむ。

イチロウも同じだった。

他のことなら、『考えたって仕方がない。まあ、何とかなるさ。』と楽観的なイチロウだが、この恋だけは違うようだ。


『彼女のために何かしてあげたい
ユキエと会えば会うほど、イチロウの胸は熱くなる。

一度、さらりと聞いたことがある。
「ユキちゃんは、今何がしたい?」

「えっ、今ですか?
そうだなぁ~、何だろう(笑)
………
無理なんだけど、見てみたいなぁ~
そう、この世の全てを見てみたいかな(笑)。」

イチロウは『聞くんじゃなかった』と後悔しながら、明るく笑うユキエを眺めるしかなかった。



公園についた二人はベンチに座った。



柔らかい日差しが、少しだけ時間を足踏みさせている。
それに併せるように、風も時折枝をなでてゆく。
心地いい日とは、こういう日のことをいうのだろう。


イチロウもユキエも落ち着いた気持ちでたくさんの言葉を並べていた。

「イチロウさんなら、施設でも人気者なんでしょ(笑)。」

「そうなのかなぁ~。
そんなこと考えたこともないけど、おばあちゃん達とはいつも話してるなぁ~。
どうってことない、世間話なんだけど…
俺、好きなんだよなぁ~、そこのおばあちゃん達。
落ち着くんだよ。

おばあちゃん達に癒されてるのかな。」

「きっと、そこのおばあちゃん達もイチロウさんに癒されているのね(笑)。」

「そうなのかなぁ。

うーん、分かんないや(笑)。
あっ、そうそう、おばあちゃんと言えば、そのおばあちゃん達、ひとりひとり全然違うんだよ。」

「違うって?」

「俺、その仕事するまでは年寄りなんてみんな一緒だと思ってたんだ。
でも、話してるうちに人によって考え方が全然違ってるんだよな。
考えてみると当たり前なんだけど、俺達若者と同じなんだよ。
ただ、あちらは経験があるから、一応は他人の話も聞く。
でも自分の考えは変えないんだよなぁ。

人間臭くて好きなんだよ。

それに情も深いしね(笑)」

「変わってるわね(笑)。」

「そうなんだよ、いろんなおばあちゃんがいるんだよ。」

「おばあちゃんじゃなくて、イチロウさん(笑)。」

「えっ、そうかなぁ。

そう言えば友達からもそう言われてるな。」

「伯母さんが言ってたとおり純粋なんですね。
………
私、人とこんなに話したことなかった
私の僻みなんでしょうけど、何となくみんな私に気を遣っているようで
でも、イチロウさんは違ってるんです。」


「人を気遣う優しい気持ちなんかないんだろうな。

反省、反省(笑)。」

「いいえ、イチロウさんが優しいんです。
だから、変わってる人なんです(笑)。」

「うーん


やっぱり、俺の頭じゃよく分かんないなぁ~。」

「ごめんなさい。変な話しちゃった(笑)。」

「いや、いいんだよ(笑)。
さっ、そろそろ帰ろうか?
ユキちゃんのおばちゃまも心配してるから(笑)。」

「そうね(笑)。
あの~、こんなこと図々しいんだけど、今度また散歩してくれませんか?」

「あちゃー、それ俺の台詞なんだけど。
帰り際に言おうと思ってたのに~」

「やっぱり、変わってる(笑)。」

二人は笑いながらベンチを立った。
と、その時、天から数片の花びらがヒラヒラと舞い降りる。

「ユキちゃん、動かないで!」

「え?!」

イチロウは、ユキエの頭に乗った花びらを取ろうとして、顔を近づけた。
少しだけ笑みの残っているユキエの顔は、それでも一瞬緊張した。
イチロウは、髪を撫でるようにそっと花びらを払った。

「梅の花びらなのかなぁ?

ユキちゃんの頭に着地したんだよ(笑)。」

「うん。ありがとう(笑)」

もちろん、イチロウには、ユキエの心の変化など分かるはずもない…