世界史の人物を紹介します。
今回は、アレクサンドロス大王 です。
ソロンは、山川の教科書のP35、《民主政への歩み》で登場します。
●いつの時代?
BC333(イッソスの戦い)
●どこの人?
マケドニア
ギリシア人
●何をした人?
マケドニアは、バルカン半島、別の言い方をするとギリシアの北方で興りました。
現在は、北マケドニアという国です。
アレクサンドロス大王は、マケドニアの王様です。
単なる王ではなく、大王と付くことからわかるようように、この時代を代表する歴史的人物です。
マケドニアの話をする前に、アテネとアケネメス朝ペルシアの話をしておきます。
BC5世紀、この時代、地中海で力を持っていた国は、アテネとアケネメス朝ペルシアでした。
アテネは、現在のギリシアのあるバルカン半島で興った都市国家(ポリス)です。
アケネメス朝ペルシアは、現在のイラク周辺で興った国家です。大国でした。
BC500年、アケネメス朝ペルシアがアテネに攻め込みます。ペルシア戦争です。
この戦争で、アテネはアケネメス朝ペルシアの進撃を食い止めます。
しかし、この戦争の影響でアテネは弱体化していきます。
そして、このタイミングで飛躍したのがマケドニアです。
当時のバルカン半島のギリシア人は、自らをヘレネス、自分達以外をバルバロイと呼んで、卑下していました。
このバルバロイには、ペルシア人、エジプト人だけではなく、同じギリシア人であっても、バルカン半島以外の民族もそう呼んでいました。
マケドニアは、バルカン半島の北方に位置していたため、バルバロイと呼ばれていました。
アテネに対してコンプレックスがあったと推測されます。
この時代、マケドニアには、強力なリーダーシップを持つ王様が出現します。
フィリッポス2世です。そして、アレクサンドロスの父親です。
BC338年、フィリッポス2世は、アテネに攻め込みます。カイロネイアの戦いです。
マケドニアは、この戦争に勝利します。
その後、アレクサンドロスが王位を継承します。
そして、いよいよアレクサンドロス大王の時代が到来します。
アレクサンドロスはBC334年、東方遠征に出発します。
狙いはアケネメス朝ペルシアの征服です。
まず、BC333年、イッソスの戦いに勝利し、アナトリア半島を支配します。
ちなみに、イッソスの戦いは、アケネメス朝ペルシア軍が7万2千人だったのに対して、アレクサンドロスは1万9千人だったそうです。
アレクサンドロスは、この不利な戦いを勝利します。
アレクサンドロスは、戦さの天才だったわけです。
勢いにのったアレクサンドロスは、次に、エジプトを攻め落とします。
そして、BC331年、アルベラの戦いに勝利し、BC330年にアケネメス朝ペルシアを滅ぼします。
マケドニア軍は、アケメネス朝ペルシアが整備した、交通網に沿って、サルデス、スサ、ペルセポリスを陥落させていったわけです。
アレクサンドロス大王は、これに満足せず、インドの西部まで遠征範囲を広げようとします。
しかし、インドまでの交通網は整備されておらず、兵も長年の遠征で疲れていました。
やむを得ず、インド征服を諦め、引き返すことになります。
そして、帰路の途中、病気にあい、BC323年、アレクサンドロス大王は32歳で永眠します。
カリスマ的なリーダーが死んだ後、往々にして、国は分裂します。
マケドニアは、アンティゴノス朝マケドニア、セレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプトの3国に分裂します。
アレクサンドロス大王は、東方を支配することだけではんく、東西の融合も重視していました。
普通の支配者であれば、敗戦したアケネメス朝のペルシア人を奴隷にします。
しかし、アレクサンドロス大王は違います。
ペルシア人に、自国民と対等の地位を与えました。
優秀であれば高官に迎えました。
奥さんもペルシア人だったそうです。
東西の融合を強く意識していた現れです。
それから、東方の各地にアレクサンドリアという都市を建設しました。
ここにギリシア人を派遣し、ギリシア文化の普及を図りました。
同時に、ペルシア文化も尊重しました。
こうしてギリシア文化とペルシア文化が影響し合い、新たな文化が誕生します。
ヘレニズム文化です。
代表的な作品としては、ミロのヴィーナス、ラオコーンがあります。
アレクサンドロス大王は、東西の融合という新しいコンセプトを持って、これを実現したこれをわけです。
すごいですね。
●アレクサンドロス大王の名言
アレクサンドロス大王は、多くの名言を残しています。
印象に残ったものをいくつか紹介しておきます。
「勝っている時こそ、多くの危険が潜んでいる」
「あなたの行動は我々全てに影響を与えることを憶えておくべきだ」
「武器により得たものは長く続かないが、慈愛と節度で得たものは永遠である」
●アレクサンドロス大王の画像
下図の壁画が有名ですね。
イッソスの戦いです。
かんり劣化が進んでいますが、幸いにも、一番左のアレクサンドロス大王はちゃんと残っています。
後年になって、この壁画を基にアレクサンドロス大王を描かいた絵画がいくつもあります。
下の絵は、左がアレクサンドロス大王で右が哲学者のアリストテレスです。
アレクサンドロス大王の家庭教師は、アリストテレスだったそうです。
アレクサンドロス大王は、豊かな教養を身につけていました。
※画像出典元:ウィキペディア
それから、アレクサンドロス大王が登場するマンガでは、『ヒストリエ』があります。
このマンガの主人公は、アレクサンドロス大王でなく、その参謀になる男です。
このマンガを読むと、アレクサンドロス大王がカリスマ的存在だったことがよく分かります。
ちなみに第6巻の表紙がアレクサンドロス大王の少年時代です。
父のフィリッポス2世も登場しますし、カイロネイアの戦いも描かれています。
世界史の勉強になるので読んでみてください。
ただ、当時の民族は、極めて残忍だったこともリアルに描かれています。1〜3巻あたりを読む際はご注意ください。
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