【世界史人物6】ホスロー1世「哲人王」 | 技術士を目指す人の会

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2008年に技術士合格後、「技術士を目指す人の会」を立ち上げ、多数の技術士を輩出。自身も勉学ノウハウを活かして行政書士、世界史検定2級、電験三種に合格。

世界史の人物を紹介します。

今回は、ホスロー1世 です

ホスロー1世は、山川の教科書のP25、《パルティアとササン朝の興亡》で登場します。

 

●いつの時代?

557年(ブハラの戦い)

 

●どこの人?

ササン朝

ペルシア人

 

●何をした人?

ササン朝は、550年、チグリス川ユーフラテス川下流域周辺で興りました。

現在のイラクです。

ホスロー1世は、ササン朝の王様で、領土最大を実現しました。

哲人王と呼ばれた王様です。

 

山川の教科書のP25は、序盤はBC4世紀、BC3世紀の話です。紀元前です。

ところが、中盤で一気に歴史が流れ、AD3世紀の話になり、終盤ではAD6世紀の話になります。

このページは流れが早いんです。

ところが、教科書のP27からは、紀元前のギリシアの歴史がはじまり、P40からは紀元前のローマの歴史がはじまります。

様々な国の歴史を学ぶので、年代を行ったり来たりすることろが、世界史の難しいところです。

 

というわけで、メソポタミア、現在のイラン・イラク地域の歴史を少し整理しておきます。

この地域の支配の歴史は、以下の順番になります。

 

①BC7世紀 アッシリア

②BC612 メディア、新バビロニア(アッシリアが滅亡して4つの国に分裂。左記の2国以外ではリディア、エジプトがある)

③BC550 アケネメス朝ペルシア

④BC330 マケドニア(アレクサンドロス大王の帝国)

⑤BC323 セレウコス朝アレクサンドロス大王が死亡して3つの国に分裂。セレウコス朝以外ではアンティゴノス朝、プトレマイオス朝がある

⑥BC248 パルティア

⑦AD226 ササン朝ペルシア

 

パルティアを倒して建国したのがササン朝です。

ササン朝は、ペルシア人の国家です。

ちなみに、パルティアはイラン人国家と言われています。

ペルシア人もイラン人も同じなんですが、ペルシア湾周辺の民族はペルシア人と呼び、山間部だとイラン人と呼ぶのだそうです。

ペルシア人の国家は、(パルティアの3つ前に)アケネメス朝という国家がありました。

このため、ササン朝はアケメネス朝を復興したものと言われています。

 

ササン朝の初代の王様はアルダシール1世です。

ホスロー1世は、第21代目の王様です。

ホスロー1世の時、ササン朝の領土は最大になりました。

ホスロー1世は、戦う人だったわけです。

まずは、AD557年、エフタルという国を滅ぼします。

 

6世紀の頃、地中海と西アジアは、ビザンツ帝国、ササン朝、エフタルが支配をしていました。

※画像出典元:山川の世界史図録

 

エフタルは遊牧民族の国家で、ササン朝に攻め込んだりしていたようです。

通常であれば、ササン朝VSエフタルの本格的な戦争になるんですが、単に、国対国の戦争しなかったところが、ホスロー1世のすごいところです。

どんなことをしたのか?

ホスロー1世は、同じ敵を持つ国と同盟を結んで、一緒に戦ったんです。

この時代、ササン朝、エフタルの周辺には突厥というトルコ人の国がありました。

この突厥と、ササン朝が同盟を結んで、エフタルに挑んだわけです。

両国がエフタルを挟み撃ちをする形で戦い、勝利します。

この戦争は、「ブハラの戦い」と呼ばれています。

同盟を結んで戦争することは、第一次世界大戦、第二次世界大戦の時代では頻繁にある話です。

しかし、この時代に同盟を結んだ戦争は珍しかったと思います。

こうした合理的な判断をしたところが、ホスロー1世のすごいところだったと思うわけです。

 

それから、ホスロー1世は、ビザンツ帝国とも戦争をします。

この戦争でも、ササン朝は勝利します。

しかし、これは深入りしませんでした。

その当時、ビザンツ帝国は大国でしたから、徹底的に戦争をすると、両国の被害が甚大になるからです。

この戦争の後、AD562年、ホスロー1世は東ローマ帝国と和議を結びます。

これも、当時としては、新しい手法だったと思います。

戦争はお金がかかります。

だから、自国の権益さえ守ることができれば、とことん戦う必要はないわけです。

この判断もすごいですね。

 

●哲人王

ホスロー1世は哲学王と呼ばれていたそうです。

529年、ビザンツ帝国は、ギリシアのアカデメイアを閉鎖します。

アカデメイアは、哲学を学ぶところです。

ビザンツ帝国は、キリスト教を国内に深く浸透させようとしていて、そのためには哲学的な考え方が邪魔だったようです。

アカデメイア閉鎖により、多くのギリシア人哲学者が行き場を失います。

この時、ササン朝のホスロー1世は、哲学者を自国に招き入れて保護したそうです。

ホスロー1世自らも哲学を学んだそうです。

こうしたことから、ホスロー1世は哲学王と呼ばれたようです。

 

●芸術家

ホスロー1世は芸術家でもあります。

以下の皿はホスロー1世の作品です。

すごいですね。

画像出展元:ウィキペディア

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%B9%E3%83%AD%E3%83%BC1%E4%B8%96

 

●ホスロー1世の画像

色々検索してみましたが、残念ながら、ホスロー1世の彫刻や壁画は発見できませんでした。

これが唯一です。

 

画像出展元:ウィキペディア

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%B9%E3%83%AD%E3%83%BC1%E4%B8%96

 

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