はじめに断っておきますが、これは遺言という題名であっても、世間の言うところの、言わば辞書的な意味での遺言ではありません。死を迎え、自身の遺産の相続先を示す遺書とは、前提が違うのです。そう、私は生物的に死を迎える訳ではないのだから。
しかし、これもまた、世間で言うところの死が、つまり辞書的な死の本質が、もう会えない、逢えない、という点にあるのなら、この度の別れは、私にとって、この地での死と呼べるものなのかとも思い、それならば、これは遺言状として差支えないという認識に至ったのであります。
大袈裟かつ空々しいと思われてしまうでしょうが、この地を離れることが決まってから、いや、決まって数日が経ったある日の昼前やにわに、半年後に予定立てられた、敬愛する兄弟たちと、親愛なる子どもたちとの別れを想起し、悲しく、そして虚しくなったのだということをお知りおきください。まるで、かつての親類の死没によるもののように、私は喪失感を抱いたのです。
念の為ここでも断りを入れさせて貰いますが、嘘の多い人生でしたが、私に似つかわしくないその感情は嘘ではありません。(まぁ、嘘が嘘であるかどうかは、受け取った人の裁量で決まると言っても過言ではありませんから、信じて貰えなくても仕方のないことなのですが。)
ここまで書いてきてふと私の言葉に矛盾というか、齟齬があることに気が付いたのですが、喪失感を私が抱くのは、本来であれば相反的、つまりあべこべであります。なぜなら、私が死ぬのであって、私という存在を失うのはあなた方なのだから。
と、書いてまた、私自身がここでの私を失うという一点では、そして私的に前述の兄弟と子どもから離れる、私の手から放れるという二点目を踏まえて言えば、喪失感とも言えるのではないかとも思います。とにかく、私は寂しいのです。
そんな寂しくて、淋しい私の胸中を、そして、どうせ面と向かってはまともに別れの言葉を言えずにいるであろう半年後の代わりに、別れの言葉を遺しておきたい、そう考えた故の、そういう意味での、これは遺言なのです。