990円の服を、私は棚に戻した。
一ノ瀬 芯です。
スーパーの衣料品コーナーで、足が止まりました。
子どものTシャツをカゴに入れた帰り道。
値下げワゴンの横に、可愛いベージュのカットソーがありました。
990円。
高くない。
むしろ安い。
私はその服を手に取って、鏡の前で合わせてみました。
少しだけ顔色が明るく見えた。
こういう色、好きだったな。
そう思ったんです。
結局、その服は買いませんでした。
値札を裏返して、そっと棚へ戻しました。
帰宅して買い物袋を開くと、入っていたのは子どもの服だけ。
私の物は、何ひとつ増えていませんでした。
「買えば?」と言われても買えなかった
夫はたぶん反対しません。
「欲しいなら買えば?」
そう言うと思います。
でも私は、その言葉を言われても買えなかった。
許可が欲しかったわけじゃない。
でも、自分で自分に許可が出せなかったんです。
子どもの服なら買える。
家族の食材なら迷わない。
日用品なら必要だからと言える。
自分のものになると急に手が止まる。
たった990円の服なのに。
「今の私に、これを買う資格あるのかな」
そんな言葉が胸の奥に浮かんでくる。
収入がないのに。
家計に余裕があるわけじゃないのに。
夫が働いたお金なのに。
そんな言葉を、誰かに言われたわけでもないのに。
私はずっと、自分で自分に言い聞かせていたんです。
苦しかったのは、お金がないからじゃなかった
昔の私は、
もっと稼げるようになったら。
もっと頑張れるようになったら。
もっと自信がついたら。
そうなれば変われると思っていました。
パートに出ようとしても、人間関係やマルチタスクに疲れる。
在宅で何か始めようとしても、SNSの眩しさに疲れる。
学んでも、頑張っても、なぜか苦しい。
「主婦でも月5万円」
「未経験から自由に働く」
「好きなことで生きる」
そんな言葉を見るたび、また自分が足りない気がしました。
足りないから買えない。
足りないから選べない。
足りないから、自分のことは後回し。
でも
苦しかったのは、お金がないからじゃなかった。
「自分で稼げていない私は、欲しがってはいけない」
その前提そのものが、私を苦しめていました。
欲しいものを棚に戻すたび。
私は、自分の気持ちまで棚に戻して
目立たない場所へ。
欲しがらない場所へ。
我慢していれば波風が立たない場所へ。
今振り返ると。
あの日、棚に戻したのは990円の服だけじゃありませんでした。
欲しいと言うこと。
選ぶこと。
自分のためにお金を使うこと。
私はずっと、そんな自分の気持ちまで棚へ戻していたのだと思います。
でも。
もしこのまま、
「私なんか」を繰り返しながら生きていたら。
服だけじゃなく、人生そのものを後回しにしてしまう気がしたんです。
私が本当に欲しかったのは、服ではありませんでした。
自分で選べる人生でした。
一輪は、誰かに許可されて咲くわけじゃない
池坊の世界では、花を盛りすぎることを良しとしません。
たくさん足せば、豪華に見えるかもしれない。
でも、たくさん飾りすぎた花は、
どこを見ればいいのか分からなくなる。
余白がなくなり、呼吸ができなくなる。
人も、同じなのかもしれません。
いい母でいなきゃ。
家計を乱しちゃいけない。
自分のことは後回しにしなきゃ。
そうやって我慢を重ねるほど、本当の自分の輪郭が見えなくなっていく。
一輪の花は、誰かに許可されて咲くわけじゃない。
ただ、そこに在る。
その静けさの中に、ちゃんと美しさがある。
私を救ってくれた「あるレポート」
外でも家でも挫折し、自分の居場所を見失っていたとき。
スマートフォンの画面越しに、あるレポートが目に留まりました。
そこには、「お金と苦しさの、科学」が書かれていました。
そこにあったのは、精神論ではありませんでした。
もっと頑張れ。
もっと発信しろ。
もっと自分を売れ。
そんな話でもありませんでした。
誰かを演じ続けなくてもいい。
その文字を追ううちに、私は初めて少しだけ肩の力が抜けました。
欲しい服を買えるかどうか。
外食に行けるかどうか。
本当はそれだけの話じゃなかった。
私が、私の人生を取り戻せるかどうか。
その問いに、静かに答えてくれる知性でした。
もし今。
スーパーで欲しい服を手に取っても、結局戻してしまう。
美容院の予約画面を開いて閉じる。
家族には使えるのに、自分には使えない。
そんな日が続いているなら。
あなたが悪いわけではありません。
このレポートを読んでいただくだけで、これまでの「副業」に対する考え方が、静かに変わると思います。
私を救ってくれたあの考え方を、同じ痛みの中にいるあなたへ、そっと置いておきます。
▼ 私が救われた「静かな科学」
お金と苦しさの、科学を読む一ノ瀬 芯