先日こんなことがあった。

ボクと弟は久々に休みがかぶり、ボクの家の近所でキャッチボールをやろう、ということになった。
あいつとは小さい頃から一緒に遊んでいるが、昔はチャッチボールが苦手。
最近、野球に目覚めたらしく、二人とも朝からやる気になった。
近所にはもちろん広いスペースはなく、
20分少し歩いたところにあるちょっとした大きな公園にたどり着いた。
広い草野原のスペースを見つけていざ、というタイミングで見つけたのは
「キャッチボール・素振り禁止」の看板。
公園にはぽつぽつとしか人はいなかったけれど、
禁止なものは仕方がない。
ボクらは公園でできそうなスペースを探すために歩き出した。
しかし、あるけどあるけどそんな場所はなく、
ボクは公園の管理事務所に電話をした。
「キャッチボールができる場所は公園内にありますでしょうか?」
「ブルペンだけです」
「・・・え、球場内のですか?」
「はい」
「球場を借りないと場所はないということですか?」
「そうですね」
それはなかなか大掛かりな話だ。
「・・・最近の子供はどこでキャッチボールするんでしょうかね?」
「さあ。私に聞かれましても」

ボクがこの話から伝えたいのは
「安全を守っている公園が安心だ」とか
「昔は自分たちで安全管理していたのに、こんなことじゃ子供が育たない」とか
「野球がこれじゃ気軽なスポーツにならない」とか
そんなことじゃない。
ボクが思うのは
「正しいということは正しいだけなんだ」ということ。
そこを競っても仕方がない。
世間には人の数の分だけ正しいがある。
それは生半可のものはなく、その人が自分の人生で築いてきた論理。
それを他人がどうして否定できようか。
会社と自分の正しいは違うし、
親と自分の正しいは違うし、
友達と自分の正しいは違うし、
恋人と自分の正しいは違う。
「私の言うことは正しいはずなのに!」
と叫んでみても、そして、それがいかに理にかなっていようとも、
それはあくまで自己満足。
それがいかに素晴らしい正しい論理だったとしても、
それは正しいだけなんだ。
それでは人とはわかり合えない。
人とわかり合えなければ社会で生きていけない。
社会で生きていけなければ結果は出ない。
結果が出なければ目標は達成できない。
目標が達成できなければ夢は叶わない。
そして、何より幸せじゃない。
じゃあ、どうするか?
それこそ正しいはないし、正解はない。
ただ、多くの人は自分を知ろうとした努力の後は、他人を知ろうと努力する。
歩み寄って話して触れ合って、
そして、自分の正しいを変えていく。
それが、人生。

今年も3月という卒業の時期が終わり、
春という憂鬱な季節がやってくる。
いろんな人と出会うことになる。
出会っている人の中でも新しい変化を目指すことになる。
そんなときは、どうか。
自分の正しいと相手の正しいを考えて、考え抜いて、
幸せを感じて欲しい。
ボクはそう思います。
まあ、ボクがそれをできているかどうかは別の話なのだけれど(笑)

ボクと弟は久々に休みがかぶり、ボクの家の近所でキャッチボールをやろう、ということになった。
あいつとは小さい頃から一緒に遊んでいるが、昔はチャッチボールが苦手。
最近、野球に目覚めたらしく、二人とも朝からやる気になった。
近所にはもちろん広いスペースはなく、
20分少し歩いたところにあるちょっとした大きな公園にたどり着いた。
広い草野原のスペースを見つけていざ、というタイミングで見つけたのは
「キャッチボール・素振り禁止」の看板。
公園にはぽつぽつとしか人はいなかったけれど、
禁止なものは仕方がない。
ボクらは公園でできそうなスペースを探すために歩き出した。
しかし、あるけどあるけどそんな場所はなく、
ボクは公園の管理事務所に電話をした。
「キャッチボールができる場所は公園内にありますでしょうか?」
「ブルペンだけです」
「・・・え、球場内のですか?」
「はい」
「球場を借りないと場所はないということですか?」
「そうですね」
それはなかなか大掛かりな話だ。
「・・・最近の子供はどこでキャッチボールするんでしょうかね?」
「さあ。私に聞かれましても」

ボクがこの話から伝えたいのは
「安全を守っている公園が安心だ」とか
「昔は自分たちで安全管理していたのに、こんなことじゃ子供が育たない」とか
「野球がこれじゃ気軽なスポーツにならない」とか
そんなことじゃない。
ボクが思うのは
「正しいということは正しいだけなんだ」ということ。
そこを競っても仕方がない。
世間には人の数の分だけ正しいがある。
それは生半可のものはなく、その人が自分の人生で築いてきた論理。
それを他人がどうして否定できようか。
会社と自分の正しいは違うし、
親と自分の正しいは違うし、
友達と自分の正しいは違うし、
恋人と自分の正しいは違う。
「私の言うことは正しいはずなのに!」
と叫んでみても、そして、それがいかに理にかなっていようとも、
それはあくまで自己満足。
それがいかに素晴らしい正しい論理だったとしても、
それは正しいだけなんだ。
それでは人とはわかり合えない。
人とわかり合えなければ社会で生きていけない。
社会で生きていけなければ結果は出ない。
結果が出なければ目標は達成できない。
目標が達成できなければ夢は叶わない。
そして、何より幸せじゃない。
じゃあ、どうするか?
それこそ正しいはないし、正解はない。
ただ、多くの人は自分を知ろうとした努力の後は、他人を知ろうと努力する。
歩み寄って話して触れ合って、
そして、自分の正しいを変えていく。
それが、人生。

今年も3月という卒業の時期が終わり、
春という憂鬱な季節がやってくる。
いろんな人と出会うことになる。
出会っている人の中でも新しい変化を目指すことになる。
そんなときは、どうか。
自分の正しいと相手の正しいを考えて、考え抜いて、
幸せを感じて欲しい。
ボクはそう思います。
まあ、ボクがそれをできているかどうかは別の話なのだけれど(笑)