ある時、とあるアーチャーはこう言った。

「ボクはね、数々の死闘をくぐり抜けてきた。そこには数々の地獄があったし、その中でも一握りの安らぎもあった。弓を構えるたびに思うんだ。この矢には様々な出会った人の想いが込められている、と」

 

ある時、とあるキャスターはこう言った。

「ワタシは、数々の地獄を味わってきた。そこでのワタシは惨めで生きていると感じたことが無かった。でも、ワタシは変わった。変えてくれるものに出会った。ワタシはやっと今生きていると言えるのよ」

 

一人は積み重ねたことによって、一人は変化によって、今の自分を受け入れている。

 

人間そんなものなのかもしれない。

 

 

1+1=2の生き方

1+1=3の生き方

 

しかし、人生とは非常なもの。

 

1+1=2−256666の日が来るかもしれないし、

1+1=3+1=−3の日が来るかもしれない。

 

そんな時、人は嘆き、悲しみ、

自ら歩むことに恐怖する。

「このまま進めば、もっとマイナスになるかもしれない」と。

 

怖いことはしたくないもの。

 

 

 

でも、多くの人はいつまでも自らに課した赤信号で

停止し続けてはいない。

 

気がついたら隣りのアーチャーもキャスターもライダーもセイバーすらも、

なんだか前に進んでいるよう見える。

 

その彼ら彼女らが自分より下か同じ虫の穴にいると思っていた時はなおさら、人は混乱してしまうものだ。

 

「あいつがなのに」

「ワタシの方がやったはずなのに」

「どうして」

 

 

そこで人は焦り、行動する。

 

まだ手にしているものが少ないと、どんなモノや経験も手に入れようとその身を削って、お金を使って、一人もがいているものがいる。

 

まだ出会いが足りないと、これでもない、あれでもないと頭を掻きむしり、一人永久に満たされない旅路に出ているものがいる。

 

さて。

 

終着駅はそこにあるのか?

 

 

 

 

ある時、とあるセイバーはこう言った。

「奢るな。人とはoneである。2や3になれると思うな。そのなれるはずだという思い込みこそが他人を自分を傷つけ、そして、苦しめるのだ」

 

 

ボクはそれを聞いて納得した。

なるほど。

1+1=1なのだ。

 

じゃあ、2になるにはどうしようか。

 

 

答えは簡単。

1+1でもいい。1+1でもいい。

色違いの1を見つけよう。

 

それはきっとボクの数字を変えてくれるはずだ。

 

 

世界には色がある。

他人には色がある。

ボクに合う色は何色だろうか。

ワタシが合わせられる色は何色にだろうか。

 

そんな旅なら、賑やかで楽しいじゃないか。

世界は色で溢れている。