春の万華鏡 | ぼくは占い師じゃない

ぼくは占い師じゃない

易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。

「大人の科学」を買ってきた。

学研の「科学」だから、
当然組み立て式の付録がついている。
というよりも、フロクがメイン。

むしろ本の方がフロクで……
昔はこれを学校で組み立てると先生に怒られた。
うちに帰ってからやれ!と。

そもそもガッコーは勉強道具以外、
持ってくることは許されていなかったので、
先生や父兄からクレームがついたのだろう、
箱には、
「かならず家に帰ってからはこをあけましょう」
と、書いてあった。

大人っていうのは、
ずいぶん勝手なことをいうもんだ、
と思った。
こんなものをアサイチで売りつけておいて、
一日開けないで持っていろなんて、
子供にとっては拷問に等しい。

「大人の科学」にも、
たぶん冗談のつもりなんだろうが、
「かならず家に帰ってからはこをあけましょう」
と書いてある。
これを買ったぼくのようなオッサンは、
上司の目を盗んでオフィスで開けてはいけない、
というわけだ。

帰り道、喫茶店によって開けるのは?
そんなことするならウチまでガマンしよう。

飲み屋でみんなで開けよう!
やめたほうがいい。
こわすか、部品をなくすのがオチだ。

この学研のムックを、
目にしたり手にすると、いつも思い出すのは、
おじさんがいつも教材を配っていた、
学校の、便所の前の渡り廊下だ。

畑を焼いた煙か、朝霧か。

校庭のスミにあたるそこは、
ちょっとモヤがかかったような雰囲気で、
そんな日は、息をすると、
湿ったカビくさい空気が肺に入ってきた。

どういうわけか、
思い出すシーンはいつも小雨模様で……
雨でも走り出したくなるくらいうれしかった。
300円だか400円が入った集金袋をふりまわして叫んでいた。

「今日、ガッケンくんだよ!ガッケン!」

ガッケンの代金は、
おこずかいとは別だったのである。

今回買ったのは、
投影式万華鏡というやつで、
去年の10月頃にでたもの。
組み込んだ万華鏡の像を手近の壁などに映せる。


カレイドプロジェクター


付いていた豆電球では
どうせ暗いだろうと思って、
アキバに高輝度の発光ダイオードを買いにいった。

ご存知のとおり、
秋葉原も「アキバ」となって、
ずいぶん様変わりしてしまった。

まあでも、駅に近いガード下の
パーツ銀座はいまだ健在で、
雰囲気も昔と変わっていない。
高校のころよくウロウロしていた。
限られた予算でマイコンのパーツを、
必死になって探していたりした。
近くの手ごろな飲食店を知らなくて
そのころ初めて、
吉野屋の牛丼っていうのを食べた。

パーツを買ってうちに帰り、
豆電球のソケット部分を分解して、
付属のリード線にLEDをハンダ付けしたものを組み込んだ。
「コレ、単三2本くらいの電源なら抵抗いらないっす」
というガード下の兄ちゃんの言葉を信じて抵抗は入れない。

ハンダ付け。

何年ぶりだろう。
20Wと30Wのハンダゴテと、
コテの簡易スタンドと、松脂入り糸ハンダ。
一式、おせんべいの缶箱にちゃんと入っていた。

この中に入っていたのは何年前の、
どこの空気だったんだろう。
ちょっとしたタイムカプセルである。
よく捨てずに取ってあったものだ。

ハンダ付けをしているとき、
いつもおふくろと一緒にいたことを思い出した。
おふくろは当時趣味でアートフラワーの教室をやっていて、
そのための材料だか見本だかを、せっせとつくっていた。
ぼくは学校から帰ると、
マイコンのケーブルだとか、
カセットやテレビやフルキーボードとの
インターフェースをせっせと組み立てていた。
(ちなみにそれは学校の勉強とは
まったく関係のない行為だった)

アートフラワーも布にクセをつけるためにコテを使う。
似たようなことをふたりで黙々とやっていたのだ。

何か話してはいたのだろうが、
内容までは覚えていない。

多分、他愛もないことだったのだろう。

糸ハンダに練りこまれた松脂のにおいは、
そんな白っぽい午後を思い出させた。

建売新興住宅の2階、
階段上がったすぐわきの狭い洋室。


カレイド像


高輝度の白色LEDを組み込んで、
暗がりで白い紙に映すと、こんな感じになる。
いっぺん、見てみたいとは思っているが、
別に夜中、UFOを見上げて撮った写真ではない。

そんなわけで、今と昔を、
でたりはいったりの
二日間でした。