他愛ないことほどよくあたる | ぼくは占い師じゃない

ぼくは占い師じゃない

易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。


お気づきの方もいるかと思いますが……
このブログにはほとんど「占例」というものがありません。

ひとつには筆者自身がまだまだ修行中で
(そういったら一生そうなんですけどね)、
他人様に公開できるような模範的占例が乏しいこと、
それともうひとつは、
易システムによる占断の過程は、
きわめてパーソナルなものであることが多く、
定石のようなパターンを示しづらいからです。
他人の夢のハナシを聞かされてもオモシロくない……
ってのはよく聞くハナシですが、
占断の過程というのはそれと似たところがありまして、
あまり他の方の参考にはならないんじゃないかと。
とくにぼくの場合は。

でもこのあいだ久々にポトンと腑に落ちる占断ができましたので
珍しくアップしてみます。
お口にあう判断かどうかは、貴方次第ということになりますが。
「腑に落ちる」ハナシについては、
2005年10月30日ログ「電話が鳴ったときに誰からか判る 」を参照してください)。

* * *

髪がそろそろのびてきたんで千円カットに行きました。
財布見たら珍しく千円札がなく一万円札だけだったので、
千円カットの店の近くにあるマックで
百円のアイスコーヒーを頼んで一万円をくずしました。

コーヒー飲みながら、

そういやさっき「黄色」だったけど、
いつ行けば一番タイミングがいいかな~

などと思いながら、トレーに乗った紙に
ボールペンでちょこちょこ数字を書きながら卦をたてます。
とくに道具を使わずに卦を立てる方法については
2005年9月11日ログ「手ぶらで卦をたてる1/2 、2/2」を参照してください。
千円、10分程度でやってくれるのは安くてスピーディで助かるけど、
サイキンこの手の店は人気らしく、ケッコウ混んでたりします。
待たされてしまうと、スピーディってとこのメリットがなくなっちゃうな~
などと、セコイこと考えていたわけです。

詳細は忘れましたが、そのときはたしか目についた営業時間の表示とか、
電話番号を使って卦をたてたように思います。
まあなんでもいいんです。
大切なのは、機をのがさないように、
問いが浮かんだその瞬間にすかさず卦をたてること。
卦さえ立ててしまえば判断はそのあとゆっくりでもいい。
もっとも、占的によっては即刻判断を求められることもあります。
上司に問い詰められているときとか……

ハナシをもどして、「黄色」ってのは、
ぼくがよくいく千円カットのお店の看板の上についているサインで、
店の混み具合を信号の色で示しています。
赤ならイッパイ、
黄色ならちょっと待つ、
緑ならすぐやってもらえる。

で、でた卦は、
15:コウの四爻変で、55:巽に之く。

こうのそんにいく

まあ、ざっとみて風(巽)が多いので、風通しはいいな、
つまり客がとどこおることなくよく流れているナ、と判断。
しかしながら陰爻が少ないということは、流れはいいけど、
空きは少ない状態である、と観る事ができます。
この辺の判断については2006年4月15日ログ「ウリムとトムミム(応用編) 」を参照してください。
じゃ、いつ腰を上げて行ったらいいのか……ですが、
こういうときには変爻のポジションに注目します。
今は……四爻変ですね。
ここでちょっと考えます。
う~ん、じゃ、五爻変だったら?
15:コウの五爻変だと、35:鼎に之く、となる。

こうのていにいく

時間の観方については2006年3月5日ログ「大成卦上における時間の観方
を参照してください……ドトーの自己PRだナ。
「鼎」という卦で、反射的に連想してしまうのが3人の人。鼎談の「鼎」。

あ~、五爻の頃になると、お客が3人になるんだあ~

それがどうした?
それがわかったところで、占的に対する判断につながらない。
だって占的は、いつ腰をあげて店にいけばいいか?
そのタイミングの判断、ですからね。

鼎は「かなえ」と読みます。
「かなえ」というのは足が三本ついた器で、
神様にお供えする料理をつくる器なんだそうです。
経文にはおいしそうなキジナベが出てきます。
料理、料理……ああ、そうか、
ぼくは五爻変の頃に料理される……
アタマ刈ってもらえるってことか。

35:鼎の上卦の3:離は器のボディのカタチで、
下卦の5:巽はその二股に分かれた様子が「かなえ」の足の部分、
という観方もあります。
つまり五爻というポジションは、
まさにナベの中で料理されている状態……ともいえるわけです。
占的の内容から考えて、大成卦全体を60分と観ます。
今が四爻の位置ですから、「料理される」五爻まではあと10分。
そのくらいにやってもらえるようなタイミングが一番イイ、
という最終判断になろました。

そんなわけで、あと10分のその時間目指してそそくさと席を立ったわけですが、
判断どおり、その時間にやってもらえた、というわけです。

実は、このケースでは、もう少し先も読んでいまして、
本卦、15:コウが六爻変になったらどうなるか。
六爻目(上爻)ですから、ぼくがアタマを刈ってもらってさらに10分後。
ちょうどぼくの頭が刈りあがるころ、ということになります。

15:コウの上爻変だと、25:大過に之く、となる。

こうのたいかにいく

おおっと、こりゃタイヘンだ。

大過は「大きく過ぎる」の意味です。
カタチ的には中の4つの陽爻を、
上と下の陰爻がサンドイッチ状に、
なんとか押さえている・支えている状態でして、
ぼくはこれが出るとほとんど自動的に、
「過負荷」「オーバーロード」と観てしまいます。
「鼎」で三人の人間を想像してしまうのと同様、一種のクセですが、
この場合はそのままの判断でOKと観ました。

そう、ぼくが終わる頃には、
お客さんイッパイで店員さんが、あっぷっぷということです。
それはそのとおりで、つぎつぎとお客さんが来て、
ケッコウあわてたような状態になってしまいました。
ついでにいうと店員さんはふたりで、
まさに25:大過の初爻と上爻みたいでした。

じゃあ、お客さんは、間の陽爻で四人かい?

だったら面白いんですが、
もっとたくさん来たように思います。
ただこの、最後の判断については、
その時間は夕方18時過ぎで、
近隣のサラリーマンが帰宅途中に
訪れる時間帯であることはわかっていましたので、
わざわざ易システムに拠らなくても、
充分に推論できることではありましたが。

店を出るときには振り返りませんでしたので、
その後信号が「赤」になったかどうかはさだかではありません。

* * *

しかしまあ、こういう他愛もないことのほうがよくあたるんですよね。
おそらく、「当ててやろう」という気負いがないからでしょうね。