絶対鈍感 | ぼくは占い師じゃない

ぼくは占い師じゃない

易のブログ……だったのですが、最近は白橋 升としての創作活動「遊星出版」の話題や日常雑記を綴っています。遊星出版のサイト(Googlesite)で作品を紹介しています。活動や作品の紹介はこちら(遊星出版公式サイト)→https://sites.google.com/view/yuusei-press

GWは中日も休みだけど(その分夏休みがミジカイ)、
前の会社の連中と飲みに行く約束とゴミだし以外、
とくに予定はない。

とくにトピックもないのだけれど、
テキトーにつづってみることにする。

ごみ
【ゴミ袋はるうらら】

ウラナイをやっている、などというと、
「さぞやカンがいいんでしょう」
などとほめてくれる人もいるが(皮肉かな)、

ぼく自身は、ハッキリいってドンカンである。

街中で友人に会っても気付かない。
昔からそうで、翌朝教室で、

「おまえ昨日シカトしたろう」

などと詰め寄られることもしばしばだった。

サラリーマン時代も、
だれがいつ結婚するだの、
だれとだれが付き合っているだの、
だれだれはどこそこに転勤になるだの、
昇格するだの降格するだの、
人事百般に関することにはまず、疎かった。

「へえ。あいつら結婚すんだぁ」
「そんなの見てりゃ誰だってわかるじゃんかよ」

わかんないのである。

そもそも、ヒトのことなどどうでもいいや、
と思っていたということもあるが、
まあとにかくそのニブさといったら、
他人様からみるとソートーのものだったらしい。

総務の手違いで給料がナンボか安くなってたときも、
しばらく気がつかなかった。
ぼくの肩越しに明細を覗き込んでいた、
シツレイなヤツに発見してもらったのである。

ヤツはため息をついてこう言ったものだ。

「いままでよく生きてきましたね」

そんなにダマされやすくてどうするんだ、
とヤツは言いたかったらしい。

そりゃぼくだって、
もし、支給額が半分になってたら気付くさ。

でも明日食うに困らない金額であれば、
とりあえずよしとしていたので、
たまたま発見がおくれたのだ。

推理ドラマの犯人なんかはまず判らない。
横で一緒にみているカミサンの方がはるかによくあてる。

カミサンといえばこの間、
食後に一本600円の安ワインを飲みながらドミノをしたが……

あ、そうそう、みなさ~ん、
アレは「倒すもの」ではありませんよ~!
海の向こうではポピュラーな、
非常に歴史のあるゲームなんです。

……ドミノ(ドローゲーム)をしたが、
ぼくの方は酔っているとはいえ、
論理と推理を最大限に駆使して確実に点を稼いでいた。
だが、あの女……
もとい、うちのカミサンときたら、
ギリギリで終端オール3のブロックをかけてきて、
あっという間に大逆転されてしまった。

ちょっと解説すると、

手持ちの牌を全部出してアガリなのだが、
場に出せる牌がなければ出せるものが出てくるまで、
山から牌を引き続けなければならないところが
ドローゲームのおそろしいところなのである。

あまりそういうチャンスはないが、
それをだせばもう続けて出せる牌はない、
という牌をだされてしまうと、
次の手番の人は結局山の残りの牌を
全部抱え込むことになってしまう……
というわけなのである。

牌が増えるのは一概に悪いことではなく、
場をコントロールしやすくもなるのだが、
ブロックされると同時に
アガられてしまっては手も足もでない。
逆転サヨナラホームランというわけ。
ワイルドドロー4でアガられてしまうウノみたいなものだ。
(↑これってルール違反でしたっけ?)

カミサンは、
このゲームをやったのはもちろん初めてで……
ぼくがくやしがっていると、

「あ~ら、あたしはなにも考えずに
カンで出してただけだよ~」

などと、しゃあしゃあと言うのである。
ぼくの論理と推理はいったいなんだったのか。


カミサンをはじめとして、
ぼくの周りの人には、
直観というかカンの鋭い人が多い。
(浮気はできない。したことないけど。
隠しとおせる自信はまったくない)

うらやましい反面、
ぼくはドンカンでよかったと思うこともある。
センシティブな人たちは、
聞こえなくてもいい他人の話や、
思い・雰囲気を含むある種のバイブレーションなどに
影響されやすいらしくて、
うちのカミサンなどは(今回は登場回数多いナ)
しょっちゅう体調を崩したり、ケアレスミスを起こしたりしている。
知りたくもない情報まで聞こえてきて悩むこともあると思う。

ただ、ぼくのようにあまりドンカンなのも困る。
まず、先が見えない。
気配りが……したくてもできない、
アタマ悪いと思われてしまう
(実際、ワルイけどね)、
などなど。
ぼくにとっての易システムは、
実は、こういったドンカンさをおぎなう、
松葉杖のようなものじゃないのかなあ、
などと思うこともある。

「易システム=欠点を補うツール」
という図式のもとに限っていえば、
カンのいい人には易システムは必要ない、
ということになるのかもしれない。
記憶力のいい人には、
備忘録としての手帳が必要ない、
というのと同様に。

ただ、手帳の機能が備忘録だけでないのと同様、
ドンカンさを補うツールという機能は、
易システムの一側面に過ぎないことも、
おさえておく必要があるだろう。