叡智の海・宇宙 | ぼくは占い師じゃない

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易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。

久々に「書棚」に一冊追加。


「叡知の海・宇宙
 ―物質・生命・意識の統合理論をもとめて」
 アーヴィン ラズロ (著)
 吉田 三知世 (訳)
 日本教文社 ; ISBN: 4531081447 ; (2005/03)


なぜこの本には、
スピリットという言葉が、
ひとこともでてこないのだろう。
いや、
ぼくの記憶に間違いがなければ、の話なんだが。
たぶん、「スピリット」とは、どこにも書いていない。
にもかかわらず、
これは「スピリット」の本なのである(と、ぼくは思う)。

ちょっとまて、「スピリット」ってナニ?

ずいぶん前に書いた拙作HPにも
スピリチュアリティって何 」と題したエッセイがあるが、
今読み返してみると、
いっぱしのことは書いてあるが、
釈然としない。

もっていきかたとしては常套手段なのだけれど、
ここで辞書を引用してみる。

スピリット【spirit】
(1)霊、霊魂、精霊、精神
(2)気性、気風、意気
(3)酒精、転じてアルコール度の強い酒のこと
(広辞苑5版より)

(3)はともかく(好きだけど)、広辞苑の表記の順番で行くと、
(1)がもっとも一般的な意味、ということになるだろうか。
スピリチュアルとかスピリットと聞くと、
なにかこう、オドロオドロしい感じがするのは、
「霊」とか「霊的」という訳語のその語感のせいだろう。
(2)までを考慮すると、
おおむね、目に見えない・つかみどころのないものといった、
おおよそのイメージがみてとれる。

スピリット、とは……
そのちょっとこわ~い、霊とか霊魂とかも、
目に見えるものも見えないものも、すべてを含む、
宇宙が循環するその「動き」そのもの、
というのが、ぼくの現在の個人的な解釈である。
「動き」そのものだから、
当然、手にとって見る事はできない。
しかし、歴然とそこにある。

holga12
【スピリットの顕現(at 深川の定食屋)】
Harinezumi-Camera 110-ISO400 晴天・午後・室内

上記の本は、一切のベースとなる、
「Aフィールド」という、可能性のカタマリについての話だ。
AフィールドのAは、アカーシャの略だが、
このコスモスの一切の要因となる場である。
この場の動きが、ぼくの解釈で言うスピリットを生む。
いや、この場こそ「根源的スピリット」といってもいいかもしれない。
そして、Aフィールドは時間空間に関係なく、すべてをつなぐのである。
もちろん科学的に証明された話ではなくて、
著者が提示する、
従来のあらゆる現象・発見を統一的に説明する「概念」ではあるのだが、
第一線の科学者が、こういうことを公然と書く時代になったかと思うと感慨深い。

本をざっとひろげてみると、

『うわぁ、ガジガジ理系じゃん』

といったような、
硬質な印象を受けるかもしれないが、
メンドクサイところは読み飛ばせばいい
(そりゃちゃんと読んだ方がイイけど……
ムリはよくない。読書は苦行じゃない)。
数式は一切出てこないのでご安心を。

最後には意識という現象について書かれている。
意識はAフィールドのダイナミズムの先に、
必然的に現れる構造であり、
人間がイキナリ突然に獲得したものではない。
構成材料 ~ つまりすべてのもの ~ には、
最初から断片ともいえる「意識」がある。

アメリカの理論家、ケン・ウイルバー は、
この意識を、上にも下にも無限のホロン深度、
そして、スピリットのダイナミズムを
「4象限」という花びらとして位置づけた。

春はいい季節だ。
スピリットの現われが、
ドンカンなぼくにもよくわかるから。
ほんとうは、
芽吹いたサクラの花にも、
手の中のフチが少し欠けたマグカップにも、
等しくスピリットは現れているのだが。

そんなワケで、
ぼくらは、
コンナ世界にいる。