意味のある偶然の一致 | ぼくは占い師じゃない

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易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。

「ある友人のことを考えていると、電話が鳴る。
電話を取ると、その電話はまさしく、
その友人からだった」

 

よく聞くハナシです。
最近、これよりやや上級(?)な、
「意味のある偶然の一致」がありました。

 

新しい自転車を買って、
ナラシのため、近所を走っていたときのこと。
ぼくとおなじ自転車好きの友人(彼はぼくより本格的に乗ってますが)
がいるんですが、ちら~っと彼のことを考えたりして。
このままヤツのうちまで遊びに行ってやろうか、とか、
新車の写真をケータイメールで送ってやろうか、とか。

 

ふらふら~っと走って、
早いけど、じゃそろそろ帰ろうか……
などと思っていると、これまた新車(わしのよりはるかに高級)
に乗った当の友人とバッタリ。

 

奇遇です。

 

目に見えるレベルでは、

・もし、あの喫茶店によっていたら……
・もし、あの角を曲がらなかったら……
・もし、あそこで休憩していなかったら……
etc、etc……

会うことはなかった。

 

確かに、

・天気の良い、自転車日和だった。
・友人は週末だいたいその辺を走る。
・お互い比較的近所。

 

とはいえ、上記の「もし」はそれこそ無数にあり、
その条件のどれが欠けても、タイミングがズレて、会うことはなかった。
これってすごい確率だと思うんだけど、どうでしょうか。

 

加えていうなら、前の自転車を買ったときも、
その、買ったばかりの日のナラシ走行でばったり会ってるんです。
ずいぶん前の話ですが。

 

「意味のある偶然の一致」。

 

よくきくハナシとはいえ、
いざ自分が体験してみるとなんともフシギな感じがするものです。

 

「イミのある……って、わざわざことわるな!お前、前のログで『この世に意味のないことなんてない!』って言ってなかったか??」

 

はい、言ってました!
だから「意味のある偶然の一致」ってのも矛盾したヘンな言葉なんです!

 

易システムは、『この世に意味のないことなんてない!』という
前提・観察にもとづいて成り立っている、
とぼくは思っています。

 

じゃあ、この場合の意味は?

 

目に見える領域で考えると、上記の「もし」だらけになり、
単なる「フシギなこと」になってしまいますが、
すべてのものは時間空間の制約を受けない不可視の領域で、
分かちがたく結びついている、
という原則のひとつの現われです
(時間・空間は可視(測定可能なもの)です)。
ウイングメーカー風に言うと、
「イベントストリングス」というやつですな。

って、いうのはムズカシげな解釈。

 

なあに、カンタンにいえば、

 

天(宇宙・コスモス・自然・神様・仏様・ご先祖様
・ファーストソース ← 好きなのに○してください)が、
新車購入を祝福してくれているんですよ。
ありふれた日常のちょっとしたスパイスです。

 

ファーストソース、ばんざい。

(なんじゃそら)