鉄旅と寺社めぐり写真紀行 -50ページ目

伊賀四国八十八ヶ所霊場 第六十一番 池辺寺

伊賀四国八十八ヶ所霊場 第六十一番 池辺寺



三重県伊賀市予野にある伊賀四国八十八ヶ所霊場 第六十一番 池辺寺(いけべじ)です。



ご本尊:不動明王





伊賀四国八十八ヶ所霊場 第六十一番 池辺寺



池辺寺は、延宝元年(1673)圓海法印によって再建されました。



江戸時代は花垣神社の別当寺でもありました。



花垣神社の棟札から池辺寺宮坊(住職)の名前も読み取れています。



明治初期に独立し、大正4年からは区長、役員寺総代の連名で予野全体の菩提寺になりました。





伊賀四国八十八ヶ所霊場 第六十一番 池辺寺



池邊寺 文殊堂





《御朱印》



伊賀四国八十八ヶ所霊場 第六十一番



御朱印 池辺寺



奉拝



本尊 不動明王



 予野 池辺寺




平成二十六年九月二十九日 奉拝





【アクセス】 伊賀鉄道「上野市」駅より三重交通バスにて「花垣神社」バス停下車、徒歩3分。





花垣神社

花垣神社



三重県伊賀市予野に鎮座する、花垣神社(はながきじんじゃ)です。



御祭神:天兒屋根命、經津主命、武甕槌命、比賣大神



合 祀:乎美彌神、大日ルメ貴神、五男三女神、譽田別命、安閑天皇、木花咲夜姫命、宇迦能御魂神、八衢比古神、八衢比賣神、久那戸神、 建速須佐之男命、 市杵嶋姫命、菅原道眞、大山祇神、火産靈神、三筒男神、大己貴神




花垣神社



奈良時代に予野から八重桜を都に献上した縁で、寛弘元年(1004)奈良の春日宮を勧請し、地元池辺宮と共に祭祀してきました。



棟札によれば、江戸時代の寛永2年(1624)、予野出身の藤堂藩・伊賀上野城代家老・初代藤堂采女によって再建されました。



拝殿。鐘楼などは藤堂采女の曾孫の「三国地志」の著者である藤堂元甫などによって再建されました。



同時に八重桜や蘭若池の藤の植え替えも行っています。





花垣神社



花垣神社 拝殿





花垣神社



天満宮灯籠




平成二十六年九月二十九日 奉拝





【アクセス】 伊賀鉄道「上野市」駅より三重交通バスにて「花垣神社」バス停下車、徒歩3分。





刺田比古神社 岡の宮

刺田比古神社



和歌山市片岡町に鎮座する和歌山城鎮護の刺田比古神社(さすたひこじんじゃ)です。



岡の里(現在の和歌山市広瀬、大新、番丁、吹上、芦原、新南地区)の氏神として、別名「岡の宮」の名で知られています。



御祭神:道臣命、大伴佐氐比古命





刺田比古神社



道臣命は「日本書記」「古事記」に詳しく記載され、神武東征に武功をたてた神として登場します。



境内には6世紀のものと推定される古墳があり、岡の宮と関わりの深い大伴氏のものと考えられています。



岡の宮の名を有名にしたのは、8代将軍吉宗公の誕生にまつわる話です。



吉宗は1684年10月24日、父光貞の第四男として厄年に生まれたため、ひとまず追廻門外の扇の芝に捨てられ、それを岡の宮の宮司・岡本長諄が拾うという厄払いの儀式を受けました。



これにより、岡の宮が拾い親となり、以後吉宗のあつい信仰を得ることになりました。




刺田比古神社



吉宗が後に将軍として江戸に向かう際、年老いた愛馬を奉納し、この馬が死んだ後も、長諄宮司は生前の姿をかたどって神馬を造らせて祭りました。



この神馬は1945年の和歌山空襲で岡の宮の社殿がほとんど焼け落ちた時にも奇跡的に助かりましたが、その後傷みが激しく、1996年京都の職人により修復されて美しい姿を取り戻しました。



吉宗ゆかりということに併せ開運・厄除けの神馬として崇敬を集めています。





刺田比古神社



刺田比古神社 本殿





《御朱印》



御朱印 刺田比古神社



奉拝



刺田比古神社



平成二十六年九月二十日





【アクセス】 JR「和歌山」駅より和歌山バスにて「岡山町」バス停下車、徒歩5分。