2024年1月8日(月)、ちょうど一週間前、母が満89歳でこの世を旅立ちました。
今月の誕生日、16日前のことでした。

最期はもう話すことはできませんでしたが、意識があり、わずかに目を開けて兄を見つめていました。

兄は、最初こそ「お母さん、気を強く持って!」と励ましていましたが、

そのうち穏やかな表情になって「僕は、お母さんの、息子だよ」と静かに語り掛けていました。

親子の愛情があふれていて、本当に美しい世界て、思わず写真を撮りました。
亡くなる2時間前の写真でした。




昨年の節分、家で意識を失った母は、その後意識は戻ったものの、施設に入ることとなりました。
そして、4月に脳梗塞。
カテーテル手術で一命をとりとめましたが、徐々に体力も衰え、しゃべることができなくなりました。
年を越せたものの、経口摂取が困難となり、点滴のみの状態となりました。

そんな松の内、父も参戦しての、怒涛の一週間が始まりました。

◆1月5日(金)
・父:夜に台所で転倒。
◆1月6日(土)
・父:早朝に救急搬送、大腿骨頸部骨折の診断を受ける。
   連休明けの9日(火)に手術決定。
◆1月7日(日)
・母:施設より頻脈との連絡を受ける。
   血圧68、体温38度4分だったが、血中酸素濃度が92あり少し安心。
◆1月8日(月)
・母:施設より血圧が50との連絡を受ける。
   兄と兄嫁と私の三人で見守るなか、息を引き取る。
◆1月9日(火)
・母:朝、遺体となって家に戻る。
・父:午後、無事に手術が終了。
◆1月10日(水)
・母:家にて通夜。
◆1月11日(木)
・母:家にて葬儀。斎場にて火葬。

父は、母と一緒に建てた家から送り出したいと、葬儀の手配はすべて段取りをつけていました。
それが看取りもできず、葬儀にも参列できず、一人、病院で痛みに耐える。
どんな因果や。

その一方で、兄は立派に喪主の役割を果たし、自信もついたのではないかと思います。
また、兄嫁と叔母たちとのわだかまりも解け始めました。

父が家にいたら、こうまるくはいかなかっただろうなあという展開。
父には大変気の毒でしたが、この先に繋がるよい葬儀だったかなと思っていました。


と、ここまではよかったのですが、このままでは終わらなかった。
私自身の心にトラブル発生。


火葬場で、兄が四十九日の日程を告げていました。

えっ、私、相談されていない。
その日は東京のセミナーに行っているかも!

(あとになって、兄は事前に私の予定をカレンダーで確認していたことが分かりました)

兄へのイライラが募り、とげとげしくなります。

こんな気持ちになり、お母さんにちゃんと向き合えない。
お母さん、ちょっと整理するからね、待っててね、ごめんね。
心の中で語り掛けました。


なんでだろうと考えました。

思い当たったのは、兄への嫉妬でした。

臨終の際の母と兄は、それはそれは美しい、麗しい光景でした。
しかし、私と母はそのようにお互いに見つめ合うことはありませんでした。
面会の時もしかり。涙を浮かべていたことはあったけど。


毎日、面会に行ったのに。
毎日、歌を歌ったり、足を触って温めたりしたのに。

兄は母にとって特別な存在。


看護師長さんにも、
「母親にとって息子は特別ですよね。娘は母にとって分身ですよね」
さも分かったように語っている自分がいました。

幼い頃、母は自分の手がふさがっているとき、私に兄のご飯をよそうように言いました。
「自分ですればいい」と言ったら、私はぶたれました。
(後にも先にもこれ一回でしたが)

理不尽だと思いました。
お母さんはお兄ちゃんの方が大切なんだと思いました。

もの心ついた頃には、両親の関心は病気や問題を抱えた兄たちに向けられていました。

独りぼっち。
寂しかった。

母は兄の方が可愛いんだ。
母は私よりも兄を愛していたんだ。


まさか、大事な母の葬儀の日に、そんな幼い頃の嫉妬の感情を思い出すなんて。
正直、慌てました。

自分が自分にかけた呪いの言葉。

そもそも、母と兄との関係に私の存在を入れる必要はない。
母と兄の関係、母と私の関係でしかない。


母と私の関係において、母は、私を愛していなかったのか?

そんなことはありません。

母は女の子がほしくて、身体を酸性にすると女の子ができると聞いて、
近くのお魚屋さんで一人前のお刺身を買い、家族に分からないように
こそっと食べていたそうです。

次男のあと、7年後に生んでくれたのが私。


二人で出かけると、手を握ってくれました。
冷たいねと言ってあたためてくれました。

お揃いのワンピースを作ってもらい、一緒に着て出掛けました。

キャラメルを作り、一緒に色とりどりのセロファンで包みました。

赤の毛糸でベストを編んでくれたのが大きすぎて、ジャンバースカートに変わりました。

生理痛で苦しんでいると、そのように生んでしまった自分を責めていました。

大学進学の折、近くの大学に行ってほしいと頼まれました。断ったら、寂しそうでした。

腰椎を骨折したとき、初めて一人で飛行機に乗り、身の回りの世話にやってきてくれました。

昨年の私の誕生日、いつものように
「生んでくれて、育ててくれてありがとう」と話しかけたら、
ベッドの上で、無言で泣いていました。

まだまだたくさんの思い出があります。

過去を振り返ることで分かったこと。

私は母に愛されていました。


臨終の際、ちょうど「仰げば尊し」の曲が流れていました。
母の旅立ちだなあと思っていましたが、
あとから考えると、私が母から卒業するんだなあと思えました。

わが師の恩、いざさらば。

母よ、また会いましょう。

 

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