昨日は大地の再生講座の二日目でした。
一日目の様子はこちら。
むしろ目を瞑ったほうがいい1 | センス・オブ・ワンダー 自分の本質に還る旅 (ameblo.jp)
そして今回は、いよいよ湿気対策の最終工程、点穴、水脈作りとなりました。
午前中は、前日に掘った点穴と溝に竹炭を入れ、その上に太い枝、中くらいの枝、葉っぱ付きの細い枝を置いていきました。
泥濾し機能です。

講師のオトメちゃん、京子さんの説明を聞きよくよく理解した、はずでした。
ところが、実際にやってみると、できない。
見かねた京子さんからアドバイスをいただきました。
一美さんは枝を溝の”どこに差すか”を考えている。
差す場所ではなく、”どこに置きたいか”を考えるのだ。
枝を手に持ち、枝の気持ちになって愛でて置くのだ。
なるほど、全体を見ていなかった。
枝さんをモノとして扱っていた自分に気づきました。
お昼ご飯を挟んで、次は点穴の処理です。
ここでも、太い枝、中くらいの枝、葉っぱつきの細い枝の順に置いていきます。

ほんの少しだけ、やりやすくなりました。
ただ、この点穴も、湿気具合によって密度を変えるそうで、ほんとにやってみるレベルでした。
その次は、グランドカバー。
掘り返して露になった土を裸にしないように、枝を切って置いていきます。
基本は、剪定ばさみでしなるところを切る。
講師の方は手慣れたもので、置いた枝を上からばっさばっさ切っていかれます。

私も真似をして、しなりそうなところを切っていくと、幹だけ残ってしまいます。
京子さんに聞くと、一緒に切っていくのよとのお返事。
う~ん、なんかできない。
基本に戻って、手に持ってしならせてから切っていきます。
すると、しならせてから切ると、先ほどまで太くて切れなかったところが、パンっと切れた。
お、びっくり!
ここでも、枝と一体になっていなかったのね。
そして、その日最後の作業。
雨どいの下の水脈づくりの仕上げとして、砕いた瓦を敷いていきます。
家の近くは繊細さが必要ということで、それまでのコルゲート管や枝はオトメちゃんが敷いてくれました。

瓦は自分たちで、大きいもの、次に中くらいのもの、ガラに砕きます。
そして、水が流れてきたらきゅっと締まるように置いていく。
オトメちゃんは言います。
「手触りで(瓦の)大中小は分かります。
手の感覚はすごいものがあります。
むしろ目を瞑ったほうがいいぐらい」
オトメちゃんの華麗な手さばきに、再び、よし、やるぞ!

しかし、頭では原理を理解したつもりだったのに、
やってみると縦に置いて注意され、また横に置いてしまって注意される。
悲しくなるぐらい、できない。
そこで言われたように、ちょっと目を瞑って手触りでやってみると、そのほうが納まりがいい感じがしました。
目で見て、頭で理解したことが手先で表現できない。
そして、目で見ないで手触りで置いたほうがしっくりくる。
これは、いったい何だろう。
初めてのよくある話、と言えばそうなんだけど、
トータルのからだとして、使い方が間違ってきたんじゃないかなと思いました。
言わば、思考でからだを使っているような。
からだとは、本来はもっと物事を直感的につかみ、その直感に従って手足を動かせる機能のものじゃないかな。
その機能をさび付かせているんじゃないかな。
だから、子どもはこういうのが得意なんじゃないかな。

この大地の再生講座の二日間、
講師の方、参加者の方と水の流れに悩んだり、解決して一緒に喜んだり。
また、庭の景色の変わっていく様子に目を瞠り、じっと佇んで愛でたり。
とても密度の濃い時間を過ごさせていただきました。
本来のからだというものを考えさせられる機会ともなりました。
大地の再生は、心の再生でもあるんだなあと改めて思います。
次回は秋。
今回と連なる庭と玄関の水と空気の流れをよくし、
私も大地も、そしてここにいらしていただくお客さまにも、
気持ちのよい空間、楽園をつくっていきたいと思います。