夜、母を寝かしつけるとき、いつも「ありがとう」と言われる。
夕方になると食事を作りに実家に行き、トイレに一緒に行き、シャワーを浴びさせ、冷たい足先をマッサージする。
しかし、50歳を過ぎて、母から「あんたは、いい子だね」と言われるとは思わなかった。
ある日、母は、父が使う買い物袋を持ってきて、私に訴えた。
デイサービスでもう少し大きいカバンがよいと言われた。
このぐらいのサイズで、上にチャックがついているのがほしい。
チャックがついている、というのは、中に入っているリハビリパンツやパットを人に見られたくないからだ。
意識がはっきりしているときは、ハンカチでカバンの上部を覆っている。
最初に思ったのは、母の気に入るカバンを見つけるのは難しいということ。
案外とおしゃれさんだ。
手が震えるのでチャックの扱いは困難。
ふと、木工用の前掛けやパンツを作った端切れがあるのを思い出した。
母には、今度、出かけるときに買ってあげるからと話すが、頭の片隅で自分で作れるんじゃないかなと思った。
翌日、図書館に行き、バッグの作り方の本を2冊選んだ。
家に帰って、前掛けで余ったデニム素材のデザインを吟味する。
布地の長さが足りず、異なる図柄を入れざるを得ないが、どうもしっくりこない。
デザインが気に入らないと、母は使わなくなると思った。
根が正直な人だから。
母が使わなくなったら、自分が使うことになるだろうな。
最初はデニムのデザインにしようと思ったが、綿のデザインにデニムを使うことにした。
裏地やきんちゃく部分は布地が足りなかったので継ぎはぎをすることに。
これで、余り布も有効利用できる!
布を裁断するのは面倒だが、ミシンの段階になると形ができて楽しくなる。
最後はネームタグを張り付けて終了。
さて、喜んでくれるかな、どうかな。

夕方、デイサービスから帰った母の前で、カバンをひらひらさせ、気づくまで待つ。
父が最初に気づき、「あ、上等なやつだ」。
(口裏を合わせたわけではない。父にも黙っていた。)
そのうち母が気づいたので、自分で作ったことを伝えた。
そうしたら、「あんたは、いい子だね」
かみしめるように出た言葉だった。
よっぽど嬉しかったのだと思うが、実は私も静かな衝撃を味わっていた。
私は「いい子」だったという自覚はあるが、よくよく考えてみると、記憶に残っていたのは、「手のかからない子ども」という言葉だった。
母に、私は小さい頃はどんな子どもだったかを何度か聞いたことがあった。
その度に、母はこの言葉を言った。
「本当に、手のかからない子どもだった」。
舅と折り合いの悪かった母は、幼い私を前に、
「あんたがいるから、私は家を出ていかないのよ」と何度も言っていた。
子どもにそんなことを言うなよ、と思いつつ黙って聞いていた。
私の古い記憶で、台所で横に立った母に軽い戒めとしてお尻ペンペンをされると、
母の太ももを叩き返していたのは、ちょっとした復讐だったのだろう。
(ちなみに、あとでなぜ叩き返さなかったかと聞くと、またあんたが叩き返すからと言っていた。最初、往復した記憶がある。その後、諦めたのだろう。)
要するに、私は、子ども心にもっと手をかけてほしかった、かまってほしかったんだよね。
病弱で手のかかる兄たちが、うらやましかったんだよね。
きっと、当時、「いい子だね」と言われたことはあっただろうけれど、耳に入らなかったんだよね。
だから、今回、「あんたは、いい子だね」と真正面から言われて、若干フリーズした、ということなんだろう。
だから、あれから何度か、この言葉が私の頭の中をリフレインしている。
へえ~、そうなんだ、って。
インナーチャイルドが癒されているということなのかもしれない![]()