鎮魂詩曲舞(レクイエム)が終わり、次は100人規模での会食。
お手伝いのため、楽屋でモシリメンバーと着替えをした。
(モシリメンバーは調理担当でもある。)
皆さんに、「間違えました。すみません」と謝ると、
語りを担当されている節子さんから、
「先行と言って、言い直したね」とニヤっと笑われた。
しっかり聞かれていた。
音響担当の和恵さんからは、
「緊張していたね。
集中しているようだったから大丈夫かなって思ってたけど。
出だしが遅れて、真っ白にならないといいなあって。」
かなり心配をさせてしまっていたようだ。
しかし、モシリの皆さんは口々に「いい体験をしたね」と言ってくださった。
一般の方からは「よかったよ~」と声をかけてもらったのと対照的だった。
今回は、あくまで絶滅種に捧げる演奏。
人間がいいの悪いの言うものではない。
それがモシリの皆さんの共通認識なんだなと感じた。
(あとでアト゜イに話したら、当たり前だ~と一笑に付された。)
そして、会食も終わり、私を見つけたアト゜イは一言、
「お前、間違えたな。」。
やっぱり、プロは気になるよね。
アト゜イが作った詩。
小さくなって、頭を下げるしかなかった。
翌々日、アト゜イが発電機をクレーン車で返却しに行くというので、お供をした。
道中の車の中、いろいろ話をした。
件の舞台上での出来事を話すと、あっけなく「そのまま続ければよかったんだ」と。
えっ?
確か、間違ったらやり直せばいいと聞いていたような。。
「人生に間違いはあるだろ。だから、そのまま続けてよかったんだ。」
なるほど。
(島根に帰って知り合いにこの話をしたら、プロの演奏家は、一期一会だから、
間違えたらそのあとで挽回するものらしいよと。
学生さんだったらやり直すこともあるけどね、とのこと。
私は学生さんレベルだった。)
それでも私は訴える。
「間違えたことのないところで間違えたんですよ。だから、びっくり。」
「まあ、カムイもいたずらすることがあるからなあ。」
あら。
思わずカムイのせいにしたがる私。
本当は緊張していただけなのにね。
「来年は来るのか?」と聞かれ、「お邪魔します。」
「じゃあ、来年も語れ。」
というわけで、今度は一年間、練習することになった。

絶滅種鎮魂祭は一年に一回。
私だけでなく、すでに来年に向けて、舞台の補修や新たな建築も始まっている。
アト゜イは16、17歳のとき、自分がこの世で何をなすのかと問い、
この絶滅種鎮魂祭を思い立ったという。
私は、絶滅種を実際に見たことはない。
もういないのだから、当たり前のことだ。
正直に言って、絶滅種に対する申し訳ない気持ちをつかみきれなかった。
動物を飼ったこともない私は、頭で考えるしかなかった。
「人間は自分たちの我欲で殺してしまった。
だから、人間は反省しなければならない」。
人は歩くだけでも他の命を奪っている。
そもそも食べるとは、他の命を奪う行為だ。
しかし、分を超えてまで奪う必要はない。
その分を超えない、全体の秩序が保たれるとはどういうことなのか。
鎮魂祭で語った詩に、以下のフレーズがある。
「その昔、人間は生きとし生ける命あるものと互いに育て合い、
自然の摂理に逆らうことなく生活してきたのです。」
改めてこの詩と向き合ったとき、
絶滅種とは、ああ、自分たちの仲間を殺したのか、と思った。
すると、素直に申し訳ないことをした、と思えた。
アイヌには、私たちが忘れてしまった精神性が残されている。
だから、鎮魂祭なのだ。
この精神性に触れたいがために、思い出すために、みんな参加しているのかもしれない。
少なくとも、私はそうなのだろうと思う。
鎮魂祭に参加して三年目、その精神性に少し触れた気がした。