30度を超す猛暑の中、二日連続で畑仕事をしたため、
昨日は一日自分のためだけに使おうと決めた。
米子の「伯耆古代の丘公園」の蓮を見に行き、
自然療法の先生宅を3か月ぶりに訪問した。

80歳になられた先生は、ヘナの髪染めをやめられグレーヘアに。
髪型とメガネとマッチして、若返られた感じがした。
以下はそこでのお話も交えて。
◆"薬酒"への道
6月下旬に、先生にクルミ酒について相談をしていた。
友人から、採取したクルミとお酒の分量を聞かれたためだ。
今回お会いしてその話になったところ、
先生は私からの相談後、実際にクルミを採って採取時期を確認したそうだ。
そうしたら、先生の見立てでは採取が早過ぎた。
温暖化が進んでいるが、もう一月は待ったほうがよかったらしい。
クルミの実が黒くなる直前に採るのがよいとのことだった。
(でも、いただいたクルミはありがたく漬けましょうとのアドバイス)
クルミ酒は虫下しによいとされるが、採取する時期によって、その効能はまったく異なるらしい。
一口にクルミ酒と言っても、効能があるものとないものがあるということ。
※以前ブログでも、同じ木から採ったサンザシ酒の効能が異なることについても書いている。
朝鮮人参酒とサンザシ酒とザクロ酒が教えてくれた | センス・オブ・ワンダー 自分の本質に還る旅 (ameblo.jp)
先生のもとには、さまざまな症状をお持ちの方が集まられる。
そこで、効かない薬酒を出してしまったら、えらいことだ。
大いなる恵である薬酒そのものへの信頼も失ってしまう。
だから、先生は人知れず、ひたすら手に採って吟味されているのだ。
そもそもすべての薬酒がうまく醸されるとは限らない。
私はせっかく漬けたザクロ酒を腐らせてしまい、二度も失敗している。
たとえうまく醸されたとしても、
どれだけの効き目があるのか、判別できなければならない。
そして、飲む人にとっての適量が分かることもとっても大事だ。

昨日、新居に引っ越してから初めて蔵に入った。
去年から漬けたザクロ酒、橙酒、橘酒、金柑酒、梅酒、ホーリーバジル酒、そしてクルミ酒を保管した。
そういえば、先生に言われた。
「畑が作りたいと思うものを作りなさい。そうしたらどっさり採れるよ」
あら、私は私の都合で作っていた。
素材が持つ素質を存分に発揮する薬酒に醸すことができるかどうか。
それは、薬酒も人間も同じことなんだろうな。
◆虫との共存
私、「先生、畑に出ると、すぐに何か所も蚊に刺されるんです~」
先生、「やっぱりね、フィラリアがいる」
フィラリア?
フィラリアに感染した蚊にさされると、自身も感染してしまう。
体のあちこちにいた。
厚生労働省のホームページを見ると、予防はできないから、蚊に刺されないようにとのこと。
無理だ。
今日も玄関や窓を小一時間開けていたら6か所ぐらい噛まれた。
一緒にいた方はまったく刺されないのに。
よほど美味いらしい。
ついでに、
私、「先生、有鈎条虫、まだいると思うんですよね~」
先生、「いるねえ」
さらに、治ったはずの卵巣ガンもチェックしていただくと、なんと再発していた。
そして、驚くべきことに、他の場所にもいる。
違和感のある、首の付け根、右肘、左手首、右肺、腰、腸骨、足の先にもいた。
肺は肺ガンじゃないの?
肺に肺ガンじゃなくて、卵巣ガンがいる!?
先生も驚かれていた。
おそらく、卵巣ガンが虫に運ばれて、身体の弱い部分にいつくのではないかという仮説。
先生も、半年以上、私の体を見てきたのでそう思える、
今まで考えたこともなかった、
まあ、可能性だけどね、とのこと。
自分で検証する手立てはないけれど、
ある種のエネルギーが体の傷んだ個所にあるというのは頷ける。
がん細胞は正常な細胞から生まれるもの。
そもそも体に備わっていると考えたほうがよい。
身体の中は小宇宙だ。
少なくとも、外から入った虫さんには退散していただき、
がん細胞とははいい塩梅で共存しようと思う。
宿主としての免疫力を高めつつ。
◆身体を感じてみる
昨夜は、先生からいただいた虫下しのタブレットを舌下に含んで就寝した。
自然療法でも、身体に合えば薬を使う。
身体に負担がかからないよう、できるだけ仰向けで寝た。
朝方、うつらうつらしながら、最大限、自分の身体を感じるようにした。
すると、じんじんする箇所が出てきたり、小さな痛みが短い時間出たり、
あちこちに動きがあった。
もしかすると、虫さんが動いている!?
セルフの施術で自分の間脳エネルギーを感じようとすることはあったが、
普通の状態で、痛みや違和感にフォーカスすることはこれまでなかった。
思い返せば、身体の感覚というのは、痛みとともにあった。
生理痛が激しく、家の廊下でおなかを丸めてうんうんうなっていることがよくあった。
当時は、薬がないと生きていけなくなるのが嫌で、薬を飲まなかった。
脂汗を流しながら、ひたすら我慢した。
だから、家を出て一人暮らしをするとき、一番の恐怖だった。
一人で生きていけるだろうかと。
20代も半ばになって、婦人科の先生から薬を飲んでも大丈夫よと言われ、
魔法が解けたように、仕方ないか、と飲み始めた。
「痛み=恐怖」
だからなのか、身体に意識を向けることを避けてきた気がする。
それは、物理的な痛みもそうだし、ココロの痛みもそう。
先日ある方に、
「つらいことがあっても影響されないようにうまく受け流してきたよね」と言われた。
うまくできたかわからないけれど、その引き換えに、
感じなくしていたんじゃないかなと思う。
自分が言うのもなんだが、私はけっこう繊細。
でも、ある部分、とても鈍いところがある。
身体もココロも、Don't feel.
それが自分を守るすべ。
「痛み=悪、排除すべきもの」、と考えていたんだろうなあ。
しかし、それは身体からのメッセージ。
まずは、自分の身体の声を一つひとつ拾っていこう。
それがきっとその先に進む扉になる。