(前回からの続き)
鎮魂祭前日の昼に、釧路空港で前哨戦となる北海道ツアーは解散となった。

ツアーの終わりに近づくにつれ、緊張感が高まっていった。
その緊張感はツアーメンバーも感じるほどだった。
ツアーでは、前年通り、アイヌ詩曲舞踊団モシリのライブとアト゜イの講話を聴いたのだが、そのとき、鎮魂祭でアト゜イの付き人をやるよう仰せつかったからだ。
一人、知らない道を慣れないレンタカーで2時間も運転するのも緊張するが、何も分からない誰も知らない状態で付き人のお役目が務まるだろうかと不安になった。
だが、運転するうちにドライブもだんだん楽しくなって、あとはやるだけだと腹を括り、会場となるイピリマミンタラに着いた。
そして迎えた鎮魂祭当日。
モシリの千珠さんに、額にマタンプシをつけてもらう。
その瞬間、自分の目がぱっと見開くのを感じた。
「あら、似合うわね。アト゜イに見せに行きなさい。」と言っていただいた。
それからはとにかく夢中で、アト゜イの金魚の糞のようについて歩いた。
アト゜イがしようとすることを感じるようにして、アト゜イの視界の邪魔にならないように後ろにくっついて、でも人が多いと少し離れて見失わないようにしていた。
1回だけ、みなさんのお手伝いと思って落ちているものを拾おうとしたら、アト゜イから「余計なことをするな」と背中をドンと突かれた。
「私の役割は何か」を意識させられる瞬間だった。
私はこの日、「自分の役割を全うする」という訓練をさせてもらったのだなあと思った。
また、一緒にお手伝いをしていた真希さんに「私たちはカムイに見られている」と言われたときは、さすがにどきっとした。
パネルディスカッション「地球における人間の役割とは」では、パネリストそれぞれの立場で、日々の活動や思いを話されていた。
ただ、私にはそこで何かが溶け合うような、あるいは新しいものが生まれるような感覚は受けないまま、予定時間が終わろうとしていた。
パネリストが最後のまとめに入ったとき、二風谷のフチ(アイヌ語でおばあさん)がすっと手を挙げた。
パネリストのそれぞれの思い、今の社会への不安をしっかり受け止め、共感し、またそれぞれの活動を称える発言をされた。
すべてを包み込むような温かい居心地のよさを感じた。
おお、これがアイヌの女性かと思った。
フチの「人間は何もつくっていない。太陽も月も草も・・・。」の言葉に、
人や万物は地球によってつくられ、生かされている。
けれど、人がつくった科学技術は人間の利便性を高めるためだけ。
人間のことだけを考えている。
その裏側で、地球はどんどん傷つけられていっている。
人がつくる科学技術を、人のためだけでなく、地球のために生かす視点をもてないか。
そんなことを考えた。
アト゜イから、シンポジウムのあとどうだったと聞かれ、フチの言葉や、人間の、自分の身勝手さが頭をめぐり、そんななかで魂入れされたクマの頭蓋骨を目の前にして温かいクマ汁をいただいていると、なんだか訳が分からないままに涙が出た。
じ~んとした時間の中でのアト゜イの決めゼリフ、
「俺はホラ吹きだ。でも、志の高いホラ吹きだ」はちょっとかっこよすぎだった。
あとで、アト゜イにお礼の手紙を書いているとき、昔朗読した、宮沢賢治の『なめとこ山の熊』に熊取りの名人の小十郎が熊の親子の会話を聞いて、何とも言えない気持ちになったというくだりを、思い出した。
そのとき、今なら、朗読できるなあと思った。
(その1年後に、奉納朗読をするようになるとは!)

ラストへ続く。