(前回からの続き)
今回は、なぜ奉納朗読に宮沢賢治の『なめとこ山の熊』を選んだのか、その理由です。
〇鎮魂祭と『なめとこ山の熊』
絶滅種鎮魂祭は、人間が絶滅させてしまった種に反省と感謝の祈りを捧げ、彼らを神の国に送る儀式(イオマンテ)です。
宮沢賢治の『なめとこ山の熊』は、熊取名人の淵沢小十郎と熊たちとを取り上げたものですが、最後のシーンは、熊に殺された小十郎を、熊たちがイオマンテするもの。
まさに鎮魂祭の逆バージョンでした。
物語の中で、熊と人間は対等です。
小十郎は本当は熊たちを殺したくはなかった。
熊たちにしても、実は小十郎を好きだった。
そして、小十郎を殺すつもりはなかった。
そんな動物たちと人間との行き交いが、この日本に確かにあった。
それがアイヌ文化の中に残っている。
アイヌ詩曲舞踊団モシリの楽曲の中にもあります。
「人間がいなくても地球は何も困らない」
動植物たちに人間に生きていてほしいと思われるために私たちは何ができるのか。
小十郎は、ある意味、人間の理想なのです。
だから、この鎮魂祭で、『なめとこ山の熊』を読むことは、私が望んだというよりも、何かの存在が読ませるように図ったんじゃないかなあと思っています。
朗読をすることが決まり、絶対緊張しますと言っていた私に、アト°イは、
「人間に聞かせるんじゃない、絶滅種に聞かせるんだ。
上手いも下手もない。
言葉に魂を乗せろ」
と言ってくれました。
小十郎が死ぬときの最後の言葉、「熊ども、許せよ」。
朗読のなかで、この言葉が一番大事でした。
絶滅種に届いたかな。
最後は、アト°イの講話で聴いたお話へ続く。
