ichimebaのブログ

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塩谷瞬は野生の猿みたいな異性との関係が欲しかった。
二股、三股をして、即効性がある気持ちよさを得たかった。

ところが、女性は彼と一時的な関係でありたいのではなく、継続的関係(結婚)を望んでいた。
塩谷瞬には野生のカンでそれがよく分かっていた。
そのため、彼は、偽りの結婚可能性を相手の女性に示し続け、自身が望む野生的関係を維持しようとした。

最初は「君のこと本気だ」とか、「将来は‥」みたいなことを言っていればよかった。
しかし、言葉は徐々に効かなくなり、次第に強い処方薬が必要となった。

だから、相手の親や親戚に会いに行った。その間もきっと彼の頭は性的なことで一杯だっただろう。

もちろん、十分な検討もなく猿的な発想で始めた関係に持続可能性はなかった。

そして、この度の派手な破局(まさに破局)を迎えた。

って感じじゃないかな。
最近格差反対運動が世界の一部で流行っている。

日本でも少人数かつ思想はバラバラ(に見えた)ながら、

occupy tokyo を合言葉にデモが行われたようだ。

要するに国内で所得格差が大きいというのが

主張だと思うが、本当に格差は拡大しているのだろうか。

それについて自分なりに考えてみたい。


まず、国内で富裕層と貧困層の格差が拡大しているというのは、

ある程度事実なのだと思う。

就職難で、単純作業が機械やコンピューターや新興国の労働者に

どんどん委託されているのだから、クリエイティブな仕事をする

人と単純作業しかできない人の格差が広がるのは不可避なことだろう。



こうした国内での格差の大きな原因は、加速するグローバル化である。

これまで先進国の人しかできなかった仕事がどんどん新興国の人でもできるように

なってきた。それによって新興国の人々が豊かになり、国としても個人としても

先進国の人に追いつき、あるいは追い抜かしつつある。



だが、このようなグローバル化による国内格差の拡大と新興国の発展は、全体的に

見ればある意味でフェアな話である。要するに、「どの国に生まれたか」勝負ではなく、

「個人の能力」勝負になってきたということだからだ。


つまり、現代では国内的な格差の拡大と、国際的な格差縮小が同時に起きているのである。


そのような社会に反対し、デモをすることは、本当に格差に反対していると言えるのだろうか。


単純に「先進国生まれ」という既得権益を手離したくないだけではないだろうか。


そもそもデモをしてもこのようなグローバルな流れは変わらない。


また、国内格差をなくそうとするならば国を閉鎖的にし、所得を再分配するしかないが、

そんなことをすれば企業・富裕層の国外流出や国全体の沈没・孤立化は免れないであろう。


であれば、一人一人が自分の価値を上げ、国全体の価値を上げるのが一番手っ取り早いのではないか。


僕は、TPPの議論も格差の議論も、基本的には自由になることを恐れている既得権益が反対しているものと考えている。

みなさんはどうお考えでしょうか。
今回は結婚方法から、人生というか、人間関係の本質について考えてみたい。


男女が結婚する理由は、どんなに時代が変わっても2つしか存在しない。


1つは恋愛結婚である。要するに、相手のことが好きだから結婚するというパターンだ。昔はあまりなかったのだろうが、現代の結婚のほとんどはこのパターンである。


もう1つは、お見合いや昔の政略結婚に代表される「条件面の選別による結婚」だ。
これは、相手の社会的ステータスや家庭環境、料理力など、自分にとってありがたい能力を持っているかという条件面が先行する「取引的な結婚」である。
「恋愛と結婚は別物」とはよく聞く言葉であるが、この言葉はまさに結婚は相手が「持っている」かが重要であることを示している。
また、「結婚とは男の金と女の顔の交換である」という何ともシニカルな言葉は、結婚の取引的要素を指摘したものである。


このように、男女が結婚するまでのストーリーはそれぞれなのだろうが、その結婚理由を分類すれば

①好きだから



②相手が「持っている」ので、取引相手として合格だから


のどちらか(または両方の混合)である。


今回私が言いたいのは、実は就職でも普段の友人関係でも、結局人間関係の本質はこの2つなのではないかということだ。


例えば就職活動の面接では、採用したくなる学生とは「一緒に仕事がしたいと思える学生」であるという言葉をよく聞く。
これは要するにその学生のことが①人間的に好感を持てるか、②仕事ができそうかということである。つまり、結婚と一緒で①好きか、②能力的に持っているかが重要ということだ。


また、友人関係が維持される理由も、その友人のことが人間的に好きか、その友人が何かを持っていてずっと関係を維持したいかの2つである。


結局、価値ある人間とは、人格か能力のどちらか(できれば両方)が素晴らしい人のことなのであろう。

今回述べた2つの要素、「好きか、持っているか」は、全ての人間関係(及び国際関係)の分析に使える本質だと思うので、みなさんぜひ自分の周りの人間関係を考える際は使ってみてください。