ママのマンションに戻ってママと二人で最後の時を迎えていた。
最後だと思うと3時間はあっという間に経過して
訪問の知らせのチャイムが鳴った。
玄関には女性が1名、男性が1名立っていた。
招くと、二人は簡単な挨拶と共に「お迎えに上がりました。よろしくお願いいたします」と言いながら丁寧に名刺を私とママの両方へ差し出した。
「この子まだ未成年ですけれど大丈夫ですか?」
ママが心配そうに聞く。
「未成年の場合はケースバイケースなのですが、本人に絶対に帰りたくない!という硬い意志があるのであれば、おそらく本人のご希望には添えると思います。」
と言った。
そしてその人は私に「私達は生活のサポートは出来ます。ですが、あなたが幸せだと感じることは何なのか、それはあなたにしかわかりません。自分の幸せは自分で決めましょうね」と力強く言った。
「はい!」私は本当にそうだなと思って答えた。
お迎えの車に乗り込んで行くとき、ママが白い封筒を渡してきた。
走り出した車の中から私はママの事が見えなくなるまで手を振って別れを惜しんだ。
ママも見えなくなるまで手を振っていた。
車が高速道路に入ってどんどん知らない道へ進む。
「これから生活してもらう場所は結構田舎ですが、ひとりぼっちではありません。あなたには助け合う仲間ができます。そして私たちもあなたと助け合う仲間になります。よろしくお願いいたします。」と言われて「よろしくお願いいたします」と私も答えた。
車の中でママにもらった封筒を開いた。
3万円のお金と手紙が入っていた。
手紙には
⚪⚪へ
わずかな日々だったけど
一緒に暮らした日々は楽しかったよ
わずかな日々だったけど
⚪⚪は私にとって妹みたいな存在だよ
これから先も
どこに居ようと
ずっと⚪⚪は
私の妹だ!
ママより
そう書いてあった。
愛情を感じて
私はまた泣いてしまった。
世の中にはいい人も悪い人もいる。
いい人もいるから頑張って生きていこう。
そう思った。
3時間程、車は走りお豆腐みたいなビルの前に止まった。もうすっかり日が暮れて辺りは闇に包まれていたからどんなところなのかという周りの景色は見えなかった。
車から降りると「ここは臨時のシェアハウスです。しばらく⚪⚪さんの今後の生活とお部屋が決まるまでの間はここに住んでいただきます」と説明された。
私は女性専用のお部屋へ通された。
上下をカーテンで仕切ってある二段ベッドの一つと寝具が渡された。
「ここは各自が洗濯や食事などの支度も自分の事は自分でする自立の場です。ご自由にお過ごし下さい、寝具をご自分でセットして下さい。それが終わりましたら館内の説明とご案内をします」と言われて私はベッドに支給された新しいマットを敷いてシーツをかけてベッドをセットした。
それからトイレの場所を教えてくれたり、洗濯機の場所を教えてくれたりシャワー室の場所を教えてくれたりして、食堂へ通された。
食堂には冷凍庫があってその中に食べ物があって温めるだけで食べられるようになっていた。
毎日当番制で配膳する形式らしい。
利用したことは無いがカプセルホテルのご飯付きみたいな場所を想像すれば近いかもしれない。
又は病院の入院中の部屋にも近いかもしれない。
そんな場所だった。
「食事は3食が毎日出ます。わからないことが有れば何でも聞いて下さい。」と言われて
「私はお金は無いですがいいのですか?」と聞いた。
「それはこちらで明日、説明させていただきますので⚪⚪さんは今は考えなくても大丈夫です」
良くわからないけど、とにかく今日は甘えさせてもらった。
住んでいる人の年齢は様々で、それが、接点がないぶん気を使わなくて済む感じだった。
みんな色々な事情がある人達の来る所だから余計な事は聞かない方針みたいで、私もなぜここへ来たのか?などということは聞かれなかった。
すれ違う人たちに「よろしくね」とだけ挨拶された。
「⚪⚪さん眠る前にお腹すくといけないから、お食事どうぞ」と言って係りの方が食事を出してくれた。
ご飯、お魚、野菜炒め、卵焼き、お味噌汁、漬物、ふりかけがご自由にと書いてあった。
冷凍とは思えない程、美味しかった。
後から知ったけれどここの食事は全てちゃんと栄養士さんが管理して設定されているメニューだった。
夜はベッドに横になりながら、ここで快適に暮らせるか考えてみた。
不安が無いわけでは無いが
少なくともここは身の危険が無くて安全でご飯が有るし、係りの方も優しそうではあったし、不自由と言えば今はまだ知り合いがいないと言う退屈さかな?くらいな感覚だった。
夜中まで周りの人の話し声は少し聞こえていたけれど、ここには暴力もいじめも無いという安心感から私は眠りに落ちて行った。
今日からまた、ここで新しい生活が始まった。
私は早く落ち着ける居場所が欲しかった。
最後だと思うと3時間はあっという間に経過して
訪問の知らせのチャイムが鳴った。
玄関には女性が1名、男性が1名立っていた。
招くと、二人は簡単な挨拶と共に「お迎えに上がりました。よろしくお願いいたします」と言いながら丁寧に名刺を私とママの両方へ差し出した。
「この子まだ未成年ですけれど大丈夫ですか?」
ママが心配そうに聞く。
「未成年の場合はケースバイケースなのですが、本人に絶対に帰りたくない!という硬い意志があるのであれば、おそらく本人のご希望には添えると思います。」
と言った。
そしてその人は私に「私達は生活のサポートは出来ます。ですが、あなたが幸せだと感じることは何なのか、それはあなたにしかわかりません。自分の幸せは自分で決めましょうね」と力強く言った。
「はい!」私は本当にそうだなと思って答えた。
お迎えの車に乗り込んで行くとき、ママが白い封筒を渡してきた。
走り出した車の中から私はママの事が見えなくなるまで手を振って別れを惜しんだ。
ママも見えなくなるまで手を振っていた。
車が高速道路に入ってどんどん知らない道へ進む。
「これから生活してもらう場所は結構田舎ですが、ひとりぼっちではありません。あなたには助け合う仲間ができます。そして私たちもあなたと助け合う仲間になります。よろしくお願いいたします。」と言われて「よろしくお願いいたします」と私も答えた。
車の中でママにもらった封筒を開いた。
3万円のお金と手紙が入っていた。
手紙には
⚪⚪へ
わずかな日々だったけど
一緒に暮らした日々は楽しかったよ
わずかな日々だったけど
⚪⚪は私にとって妹みたいな存在だよ
これから先も
どこに居ようと
ずっと⚪⚪は
私の妹だ!
ママより
そう書いてあった。
愛情を感じて
私はまた泣いてしまった。
世の中にはいい人も悪い人もいる。
いい人もいるから頑張って生きていこう。
そう思った。
3時間程、車は走りお豆腐みたいなビルの前に止まった。もうすっかり日が暮れて辺りは闇に包まれていたからどんなところなのかという周りの景色は見えなかった。
車から降りると「ここは臨時のシェアハウスです。しばらく⚪⚪さんの今後の生活とお部屋が決まるまでの間はここに住んでいただきます」と説明された。
私は女性専用のお部屋へ通された。
上下をカーテンで仕切ってある二段ベッドの一つと寝具が渡された。
「ここは各自が洗濯や食事などの支度も自分の事は自分でする自立の場です。ご自由にお過ごし下さい、寝具をご自分でセットして下さい。それが終わりましたら館内の説明とご案内をします」と言われて私はベッドに支給された新しいマットを敷いてシーツをかけてベッドをセットした。
それからトイレの場所を教えてくれたり、洗濯機の場所を教えてくれたりシャワー室の場所を教えてくれたりして、食堂へ通された。
食堂には冷凍庫があってその中に食べ物があって温めるだけで食べられるようになっていた。
毎日当番制で配膳する形式らしい。
利用したことは無いがカプセルホテルのご飯付きみたいな場所を想像すれば近いかもしれない。
又は病院の入院中の部屋にも近いかもしれない。
そんな場所だった。
「食事は3食が毎日出ます。わからないことが有れば何でも聞いて下さい。」と言われて
「私はお金は無いですがいいのですか?」と聞いた。
「それはこちらで明日、説明させていただきますので⚪⚪さんは今は考えなくても大丈夫です」
良くわからないけど、とにかく今日は甘えさせてもらった。
住んでいる人の年齢は様々で、それが、接点がないぶん気を使わなくて済む感じだった。
みんな色々な事情がある人達の来る所だから余計な事は聞かない方針みたいで、私もなぜここへ来たのか?などということは聞かれなかった。
すれ違う人たちに「よろしくね」とだけ挨拶された。
「⚪⚪さん眠る前にお腹すくといけないから、お食事どうぞ」と言って係りの方が食事を出してくれた。
ご飯、お魚、野菜炒め、卵焼き、お味噌汁、漬物、ふりかけがご自由にと書いてあった。
冷凍とは思えない程、美味しかった。
後から知ったけれどここの食事は全てちゃんと栄養士さんが管理して設定されているメニューだった。
夜はベッドに横になりながら、ここで快適に暮らせるか考えてみた。
不安が無いわけでは無いが
少なくともここは身の危険が無くて安全でご飯が有るし、係りの方も優しそうではあったし、不自由と言えば今はまだ知り合いがいないと言う退屈さかな?くらいな感覚だった。
夜中まで周りの人の話し声は少し聞こえていたけれど、ここには暴力もいじめも無いという安心感から私は眠りに落ちて行った。
今日からまた、ここで新しい生活が始まった。
私は早く落ち着ける居場所が欲しかった。