シェアハウスの朝は早かった。

昨日は暗くて見えなかった景色を窓を開けて見てみた。
目の前にきれいな透き通った川が流れていて
小さな橋が見えた。
その奥には山々が連なっていて近くには城下町が保存されている場所った。
旅行へ来たらこんな感じなのかな。

朝食は7時から9時頃までには食堂で済ませなくてはならなかった。
当番の人は早起きして支度をしなければならない。
当たり前の事だけど、母親が毎日一人でしてくれた事を思うと感謝した。

朝食が終わると、生活指導員の人に呼ばれた。
「これからの暮らしについて協力させていただきます。よろしくね⚪⚪さんにこれから質問をしなくちゃならないんだけれど、答えてもらえるかな?言いたくない部分は言わなくてもいいからね。」
と説明された。

車で一時間程の所にある事務所に連れて行かれた。
事務所はビルの中にあった。
中に入ると椅子に座るように促され冷たい飲み物を出してくれた。
生活指導員の女性はAさん
「ここに来るまでのいきさつを話してもらえるかな?」

私は出来るだけ簡単に説明した。
A「家へ帰る気はありますか?」
私「ありません」
A「今後はご両親とどんな関係で居たいですか?」
私「会いたくはありません」
A「ご両親は⚪⚪さんを養わなければならない義務がありますがこれについてはご両親が関係しててもいいですか?」
私「居場所は知らせたく無いです」
A「わかりました。今から私は⚪⚪さんのご両親と電話でお話をさせていただきます。ですが家へは返さないと約束はします。⚪⚪さんの意思は尊重するようにしますのでご両親とお話をしてもいいですか?」
私「私に自由を約束してくれますか?」
A「約束します」
私「わかりました」
A「もしも、ご両親が⚪⚪さんを養う事を放棄した場合でもここに住んでいていいです」
私「わかりました」

言われるままに、氏名、生年月日、両親の電話番号と自宅の住所を書かされて、私は家には帰りたくありません、と書かされて拇印を押した紙を提出した

これで私はシェアハウスに帰らされた。

生活指導員の女性は私の両親と電話で長い話し合いをしたらしい。
どんな話し合いをしたのかはわからないけれど。

それから数日後、事務所の方へ私の両親から手紙が届いたらしくて渡された。

封筒を開けると、私の保険証と5万円が入っていた。

⚪⚪へ

あなたが行方不明になり、家族は生きた心地がしないほど、とても心配しました。
⚪⚪がそこで暮らしたいのなら今は何も言いません。
いつか⚪⚪の方から家族に会いたいと思ってもらえるまで、待ってます。
学費は協力するので、そこから通える高校へ通うことを考えて下さい。
それから手紙だけでも良いので元気な報せを下さい。
身体に気を付けて。

母より

そう書いてあった。

こうして、ここでの生活が始まった。
部屋は間もなく個室へ移された。
生活指導員の助けもあり、私は定時制の高校へ通い直した。
今は昼間に少しアルバイトをしながら学生生活をしている。
シェアハウスの人達の中にも年の離れた友達が出来た。
さびしさや、退屈さは無くなった。
あれから一年経った今も私はまだ家には帰りたくない気持ちでいる。
家族には会いたくないんじゃなくて
自分に自信が無くて会えないのだと最近気がついた。
いつか家族に会いたいと思える自分になるために、今は毎日を頑張って生きています。

私の家出体験はこれで終わりです。
あまり面白く無かったかもしれませんが
もしも同じ境遇で困っている人の助けになればと思って一年前を思い出しながら書いてみました。
誤字脱字など見苦しいところも多々あったかと思いますが
最後まで読んでくれたらありがたいです。