【2024年】いつまでも思い出す日 | 主夫作家のありのまま振り返り日記

主夫作家のありのまま振り返り日記

奥さんと出会ったとき、女の子は5歳で。
今はもう11歳になった。
2020年には弟もできた。
あの頃を思い出したりしながら、過去を振り返る日記を書くことにしました。
今の様子も書いたりしています。

3月23日。

 



今日も思い出した。

正確に言うと、忘れてて、なんかモヤモヤするな〜みたいな感じで過ごしてたけど夕方思い出した。

 

大学3年生の春休み。

中学時代の同級生と初めて漫才をやった日だ。僕は21歳だった。

漫才の定義は難しいが、

漫才っぽいやり取りは学生の頃からやっていたが

ネタを作って3分におさめてネタを審査されることが初めてだった。

 

僕が山梨県の都留文科大学で、相方が千葉大学にいて。

 

学生の頃から誘われたがずっと断っていたが、そんな僕に

 

    

「一回だけ頼む!まじで一回だけ!」

 

と、事情を知らない人が聞いたら勘違いしてしまいそうな言葉で、口説かれ、

「まあ一回なら」と了承した。

 

お互い何度か千葉と山梨で会ってネタを作った。


初めての場所はよみうりランドだった。

戦隊モノのヒーローショーがあって、その次にお笑いステージがあった。

子どもが走り回って、お母さんやお父さんがいて

とてもわいわいしていたのに、

お笑いステージになったら、どんどん人が帰っていく。

漫画だったらピューと風が吹いて枯葉が一回転するくらい寂しい状況。

 

そんなお客さんは少なくなった中で、お笑いステージが始まった。

そして、まあまあ自信があった僕は

理想としては

簡単に優勝して相方に「ほらな」と言って、教師になろうと思っていた。

しかし、現実は全くウケなかった――。

 

スベっている3分はこんなにも長いのかと思った。

 

そんな悔しさが、僕に火をつけ僕の方から「またライブに出ないか?」と相方に言っていた。

 

それが21年前。

あれから時は経ち、

今、42歳。

 

35歳で相方と別れることは想定外だった。

そのあとピンになることも。

そのあと作家になることも。

子どもがいる人と結婚もすることも。

そのあともう一人生まれることも。

 

漫才師としてご飯を食べている未来を想像していた

僕の人生には、予想していないことが起こった。

 

その予想してなかった一つ一つの出来事が僕の生き甲斐になっている。

 

21歳の頃の僕に伝えたい。

42歳の僕は家族と笑って、一生懸命働いている、と。

 


夢が叶わなかった自分の人生は

いい人生だったかどうかは

きっと、死ぬとき分かるんだろう。